午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

生きる希望

夢に、以前弟のようにかわいがっていた後輩が出てきた。

その子が、私のことを心配している夢だった。

起きてしまったら詳細は思い出せないのだが、夢の中でもやっぱり不器用なその子が、一生懸命私のことを考えてくれているのを愛しく思った。

 

その子ももう結婚して会わなくなって久しいが、しかし結婚すると聞いたときに正直、ずいぶん妬いたものだ。

人のものになって悔しいなら、いっそ自分のものにすればよかったのか?とも考えてみたが、

それは私の所有欲の問題で、私はその子が側にいてくれたら幸せだったかもしれないが、それはイコール彼の幸せにはならないということも分かっている。

別に恋愛的な意味で好きだったわけでもないし。

その子と私が恋人をやるなんて、気恥ずかしくて無理だ。

ただその子は、そのとき確かに私の生きる意味だった。

 

当時私は長く付き合った彼氏と別れ、研究中心に生活が回っていて、ケータイの着信履歴は1ページ丸々指導教官だったりした。

私の後にゼミ長になったその子と、よく行動を共にするようになってなんだか姉弟のようにしっくり来てしまって、

毎日大学で顔を合わせ、週に3日は一緒に食事し、週に1回はSkypeで長電話をするくらい、

なんだかやたら仲良くなってしまったのだった。

学科同期の中で私だけが院に進学したため、同期のネットワークもなかったことも理由のひとつとしてある。

趣味のマニアックな人付き合いは嬉々としてやるが、それ以外はなんとなく人に対して素直に手の内を見せない壁があるような、将来もどうしたいんだか定まらない、

不器用なその子といると、守ってあげたいような気持ちになるのだった。

それなのにある意味では、私もまた彼に思いやってもらってもいて、恋愛に若干辟易としていた私の心は、その子に癒してもらっていたのだろう。

思い出がありすぎてなんだか珍しく文章がまとまらない。

確かなことは、その子のおかげで、愛でもなく恋でもなく、「誰かと一緒に生きていきたい」と初めて思えたということである。