午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

あなたならどうする

久しぶりに精神と肉体のバランスを崩しているために日常生活の遂行すら苦痛なのだが、仕事を含めこれからどんどん忙しくなることは確定しているので、そのうちに忙殺されて、すり減りながらも、孤独と不安感で叫びだしたくなるような事態は免れるようになるのだと分かってはいる。
それでも今現在進行形でツラいことに対してはなんの解決にもならないのである。
仕事を始めてからは、こうやって忙しさで押し切ってしまうことが増えたが、これは問題を先送りしているだけなのではないかと思って、それはそれで先が心配にもなる。 

大学にいたときは。こうなると先生に話を聞いてもらって、漠然とした不安感から、明確な原因やもしくは希望を掬い取ってもらえたから、私は最後にはきちんと自分の足で立つことができた。
先生がいたから、私は安心して泣くことができたし、立て直すために一度崩れてしまうことを選択できた。
 
今では仕事もあるし家庭もあるから、そうそう底まで落ちていくわけにはいかないし、心配されたくないから泣くことも控えてしまう。
これは、我慢強くなったということだろうか。強くなったということだろうか。 
私は「こんなとき、先生だったら何と言ってくれただろう」と思い出そうとするけれども、とんでもなく忘れっぽい私は、そんな詳細な会話まで思い出すことはできないし、できないからこそ今でも一人でこの漠然とした不安感から逃げる術がないのだ。