午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

恐怖の卵管造影検査

ゆる不妊治療記録

 

〇恐怖の卵管造影検査

人の話やらネットやらで、痛いということを聞いてしまい、段々怖くなってしまっていたのだが、

とりあえず観念して受けてきた。卵管造影。

確かに痛かったし、もうやりたくはないのだけど、

1年に一回くらい来る死にそうな生理痛に比べたら体感で半分くらいだったのでまぁこんなものかと。

というかむしろ、私の生理痛って相当ヤバいのではないかと心配になる。

まず、イソジン消毒をされた後、器具(管か何か?)を入れられ、ここまでは圧迫感や異物感で済むのだけど、

造影剤?バルーン?を入れられた瞬間、お腹の中がドンと鉛を入れられたような鈍痛。生理痛の酷いヤツと同じ鈍痛。それが徐々にじゃなくてドンとくるから割と我慢できないレベルで痛い。

しかもそのあとレントゲン室まで自力で歩かされるわ、丸イス踏み台にして腰の高さより高いレントゲン台に上がれと言われるわ、そっちの方が大変だった。

決して設備の新しい病院ではないからかもしれないけど、もうちょっと何とかしていただきたかった…

その後、下腹部の不快な重さを抱えたまま20分ほどベットで休まされ、特に異常はなかった旨説明を受けて帰宅。

造影剤は、生理の時と同じように排出されますからねとのこと。

正直なところ、原因が男性不妊だということが分かって以降、気持ちは楽だった。

だからこそ、「主人のために私が不妊治療に付き合ってあげる」ぐらいの気分でいたのだが、

結局痛いことするのは私かよ。というのが偽らざる感想です。

男性は、毎日服薬することと、必要な時に精子を提出することだけがノルマ。

なんだか不公平じゃないか?

私はここまでして実子を持ちたいと思っているの?

と、最終的にやっぱりもやもやしてしまうのでした。

女の人生

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https://telling.asahi.com/article/11824399

 

私の周りにも、「お金の心配をしなくてもいいのなら、また子どもを産みたい」という人がいてビビる。

 

産みたい人が産みたいだけ産めるなら、案外少子化なんかしないんじゃないかと思ってしまう。

 

そしたら、もう私みたいな迷いのある人は安心して産まない道を選択するからさ。

結果的には最善手

2013年の自分の文章。

 

ーーーーー

ずっと『私はどうして愛してもらえないの』という想いを根幹に抱えながら、けれど今さらオヤに愛してもらおうとは別に思わなくて、彼氏のような人やその時々の彼氏に依存しながら大騒ぎしながら生きていて、

それはそれできっと当時の私は一生懸命生きていたんだと思うんだけど、

でも今の私から見れば、なんて狭い世界で大騒ぎしてたんだろうと思う。

 

それから色んな事があって、楽しいこともイヤなことも大変なこともめんどくさいこともいっぱいあって、でも、先生に会えた。

 

「お前は、適切に愛を受け取れてなかったんじゃない?」

 

その一言で、私は愛されてなかったんじゃなくて、自分から拒絶していたんだってことに気がついて、そうしてやっと、自由になった。

そうして、ずっと私の傍に大事な人がいてくれたことに気がついた。

もうとっくに、愛されていた。

 

そのあとすぐに、いまの彼に出会う。

それまでなら絶対仲良くならないタイプの人。

それは多分、それまでの彼氏のように私と本質的に傷の舐め合いができるような、“欠け”を持った人間じゃなかったから。

けれど、『こんな人と一緒になれば、私でも普通に幸せになれるのだろうか』と思った。

 

以前私は、愛するから愛されるんだと思っていて、

許すから許されるんだと思っていて、

愛する人がいれば自分の欠けが満たされると思っていた。

でもどうやら、違ったらしい。

愛されたからこそ愛することができて、

許されるから許そうって思えて、

愛する人がいれば、ふたりで2倍も3倍も頑張れる気がする。

 

ひとりでいられないから、誰かと一緒にいたいと思っていた。

今ならきっとひとりでも生きていけるけど、一緒になったらもっと広がれる。

結婚しようかなぁと思うのは、だからです。

 

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過去文章ここまで。

 

もうすっかり過去になってしまったから、ありありと思い出すことまではできないんだけど、

「適切に愛を受け取れてなかったんじゃない?」

という、先生の一言は、本当に私の目の前の景色を一変させる出来事だった。

色々あるけど、今私が立っているところは、あのときからしたら間違いなく最善手だと思う。

同化することも、拒絶することも

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少し前に、髪を短く切った。

メンテナンスが楽になるかと思ったが、案外寝癖やらで面倒くさいので、また伸ばそうと思っている。

伸ばしかけの前髪が邪魔なので、最近上に上げている。

そうしたら兄弟が「お母ちゃんヘアーだ」と。

 

そういえば、母ももう少し若い頃、いつもワンレンのボブで、カチューシャをしていた。

(最近はめっきり髪のボリュームもなくなってきて、やってないようだけど)

 

兄弟にそう言われて、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

もちろん嬉しいわけでももちろんないのだが。

 

「私は母とは違う」

 

という確固たる自信があるから、些細なことはどうでもいい。

 

年を取って、味覚も母に似てきた。

皮肉なものだと思う。

だがしかし。

ずっと『家』に囚われて、有期雇用や短期の仕事を転々とし、外の社会もほとんど知らずに専業主婦になった母と、

実家を出て4、5年独り暮らしをして、結婚してもフルタイムで働いている(まぁ、若干のインターバルはあったけど)私は、きっと世界の見え方が違う。

なによりも、私は自分一人くらいは自分で食べさせて行けることが分かっているから、彼女のように男たちを家庭のなかでだけ支配しながら君臨することなどしなくていいのだ。

私と主人は、その点でなんら上下関係はない。

 

母のようになりたくはないと思う。

思春期の頃に比べれば、彼女について一定の理解はできる。

けれど、許すことはしないでおこうと思う。

私は、彼女とは似ていない。それでいいのだ。

ゆる不妊治療日記1

せっかくなので、ゆる不妊治療日記も、記録として残しておこうと思う。

 

・結婚4年 (うち、避妊期間1年。低用量ピル服用)

・夫30代後半:中~重度のアレルギー体質、慢性鼻炎

・自分30代前半:軽度のアレルギー体質(元小児アトピー

・共働き:フルタイム(基本的にカレンダー通りの勤務)

 

〇1件目の婦人科(2015~)

 1年に一回くらい、ひどい生理痛が起こる(痛みのあまり吐いて過呼吸になるなど)ことと、地元を離れて新しく仕事を始めることになっていたので、ピルの処方をしてもらっていた。

 しかし、おばあちゃん先生から「産めるなら早く子どもを作って産んだ方がいい」という圧をかけられ続け(※あくまで主観)、嫌になって通院を止める。

 

〇2件目の産婦人科(2017~)

 仕事中にひどい生理痛(立っていられないほどの痛みで過呼(以下略)で動けなくなり、かかった病院。

 ついでに計画的に妊娠したい旨を伝え、タイミング指導を受ける。

 生理周期やホルモンに左右されて突然指定される通院にイライラしながら(仕事を休む段取りが面倒くさい)、大体ちゃんと通って内診で卵が育っているか、排卵しているか見てもらう。

 同時進行で私の血液検査などをしていたが、夫の方に問題があることが発覚。

 早く妊娠したいという希望があるなら、もう自然妊娠ではなく人工受精に進んだ方がよいとの指摘を受ける。←いまここ

 

ということがここまでのあらすじ。次は、不妊治療クリニックにかかる、というところまで来ています。

 

男性不妊が大きな原因ではあるものの、機能不全家庭で育った私自身が、子どもを産み育てることに対してポジティブになれないという、もはや産婦人科関係ない問題も抱えています。

なので、どういうゴールにたどり着くかは分かりませんが、ゆるい不妊治療(やる気のない妊活?)始めています。