午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

変わらないものなどないとわかってはいるつもりだけど

子どもの頃、自分がそんな風になるなんて思ってもみなかったこと。

 

お寿司にわさびを付けて食べられるようになること。

目が悪くなって眼鏡やコンタクトをするようになること。

牛乳を入れずにコーヒーを飲めるようになること。

飛行機に乗ること。

外国に行くこと。

車を運転するようになること。

地元を離れること。

結婚すること。

 

後ろ3つは、割と今でも自分で意外。

それでも、意外のオンパレードで人生は進んでいって、そして、大概のことでは驚かなくなるんだな。

その繰り返しは、じわじわと人生の新鮮さを減らしていって、私は少し、そのことに恐怖を覚えている節がある。

それは、子どもの頃の敏感さを失って、鈍った舌にわさびがちょうどよくなっただけで、何かを克服したとかそういうわけではないんじゃないかと思うから。

多分私は、なにかを諦めようとしている

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note.mu

 

話の趣旨とは、ずれてしまうかもしれないのだけれど、

"結婚することで今の仕事を辞めないといけないとしたら、結婚と出産を諦める"

というフレーズに、『あぁ、自分もそうなのかもしれない』と思った。

 

正直なところ、私に結婚願望はなかった。

まぁ、好きな人と一緒に暮らすことに憧れはあっても、妻になり、母になるというビジョンは 持ち合わせてなかった。

ただ、主人は。大学院卒という学歴を含めて好きになってくれた。

私のやっていた学問や研究分野を含めて、彼は『自分と趣味が合う』と思ってくれている。

(彼自身は四年制大学卒なのたが、大学のランクとしては私の出た地方国立大よりは高い私大を出ている)

なので、「さくらちゃんの専門性を生かさないのはもったいない」と、フルタイムで専門職に就かせてもらえたし、子どもについても、急かすようなことは言わないでいてくれた。

正直、私は今でも十分居心地がいいし、この生活は安定している。

むしろ、妊娠出産でどうしても一度自分のキャリアが中断するのは、それは自分のアイデンティティにも関わる。

 

子どもを持つこと=何かを諦めること

だと、捉えている節がある。

諦めないで済む道があるだろうか。

それでも。産んでしまえば『やっぱり子どもを持つことには無理があったんだ』とリタイアすることなんて、できないわけで。

 

それでも、ちょっとずつ気持ちが不妊治療に傾いてきている私は、なにかを諦めようとしているのだろうか。

毒吐き

出典不明なれど、大いに共感する文章。

 

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「いつでも繋がれる安心感」は、同時に「いつでも繋がっている強迫観念」を持たせてきた。

人間は繋がっていないからこそ繋がりたい気持ちを持ち、そしてそれを大事にする。

「繋がっている安心」と「繋がっている慢心」を履き違えた結果が、この社会。

 

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たまに、ケータイ投げ捨てるか圏外(もう日本にそんなところほとんどないのだろうけど)に行きたくなる。

いいねをもらうために毒々しい色のパンケーキ食ってんじゃねぇぞってカンジ。

持病のオンパレード

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ここのところ、久しぶりに顎関節症がひどくて、口が開かない上に無理に顎を開けるとガクンガクン音が鳴るのでたいへん不快である。

 

それでもごはんはおいしいので、元気なんですけどね…

答えがでない

我ながらどうなのかと思うけれど、ずーーーーっと子どもを産むことを躊躇している。もう年単位で躊躇している。

でも分かっているのだ。もうそれこそ文字通りに、案ずるより産むがやすしなのだと。

しかし、検査をするにつれ事情があまり芳しくないことも分かってきて、どうやら自然妊娠を待っていると、子どもを授かるのはいつになるんだか分からない。

そろそろ次のステージを考えないといけないところまで来ている。

それでも自分は、自分の子どもという恐ろしい存在を、今後20年以上死なないように育てていかないといけないという責任を果たす自信が持てないでいる。

いっそ、里子か養子縁組を考えたらどうだ、と思ってみると、案外それならいいかなと思ってしまうあたり、私の恐怖はやはり血なのだ。

私の。母の血を受け継ぐというのは、自分を苦しめる血族の再生産になりはしないか。被害者で、加害者にならない保証などない。

他の誰かや、社会からお預かりした子どもを育てるというのであれば、私は頑張るよ。自分の子としてきっと大切に愛情を注ぐよ。この倒錯。なんなんだろうか。

 

・本当は望んではいないのに、「子どもを持たねばならない」と思ってプレッシャーになっているのか。

・深層心理では子どもを持つことを望んでいるからこそ、悩んでいるのか。

 

いっそ子どもができればこのモヤモヤはなくなるのか、それとも潔く実子をあきらめた方が、気が楽になるのか。

分からない。

それなのに不妊治療に進む?

我ながら訳が分からない。