午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

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こんなに私がダメなのは、私が悪いのだと、

すっかり自罰思考のスパイラル。

きっと私が、減点法で育てられたからだ。

そう頭では分かっていても、抜け出せない。

 

勉強ができようが、他所で褒められようが、

母の意に沿わないことがあれば烈火のごとく激怒され人格否定を受けるわけで、

地元で一番の学校に合格しても、

「あなたが受かるなんて、○○大も大したことないのね」

というコメントが出るからびっくりしてしまう。

私の評価が上がるんじゃなくて大学の評価が下がるのかよ!!

 

だから私も、できることよりできないことの方にばかり意識が向いて、囚われてしまう。

 

精神が安定していれば、「少なくとも私の仕事上の能力は、同年代より低いということはありえない」ということをちゃんと認識できるのだが、

後天的に獲得した肯定感すら揺らぐ状態は、もうライフが0状態。生きていく元気がない…

回避性

>APDをもつ人は、自分は社会的に不適格で魅力に欠けていると考え、笑われること、恥をかくこと、排除されること、嫌われることを極端に怖がり、そのために、社会的な交流を避けようとする傾向をもつ。自分は孤独者であるとし、社会から取り残されている感覚を訴えるのが典型である。

 

回避性パーソナリティー障害のWiki見たら、あれ…思い当たる…あれ…?ってなった。

そうそう。

それでも社会的繋がりを断つほど思いきりもないわけで、

おかげで中途半端にコミュニケーションができない社会人が出来上がるのよねツラい。

いつもなんだか人間関係のかやの外なのは、私自身が回避している結果なのだろう。

それでも私のメンタルはギリギリなのに、これ以上濃密に、空気を読まなきゃいけない人間関係なんて私には無理だ。

タイトルなし

妙な多幸感。

間違いなく、しばらく会えなかった彼と、少しだけでも話ができたからだ。

庇護を失い、心の安全基地が揺らいで、彼がいなくても生きていけるように親離れをしなければと、諦めと喪失感を受け入れようとしていたけれど、

たったほんの少し、言葉を交わして、それだけで単純極まりない私の心には、小さな灯火が点るのだ。

何度心の中で呼んでも、空虚に吸い込まれていくだけだった彼の名が、今はきちんと、私の心の中に点っていて。

我ながら、単純でいじましいと思う。

忘れられなんかしない。

失って生きられなどしない。

それでも。

大丈夫。

忘れないし。