きっとそれは宝物だから。
気がつけば大学を出てからもう何年も経っていて、
彼と毎日のように顔を会わせていた頃が遠くなっていく。
いつでも味方でいてくれて、干渉せずに見守ってくれて、
私に役目をくれて、頼りにしてくれて、
私がほしい言葉と、私に必要な言葉をくれた人。
大人を信頼できなかった私に、正直に接してくれた人。
結局捨てきれない「好き」の端っこを握ったまま、色褪せていくことに悲しさを感じるけれど、でも手放すことができずにきる。
忘れてしまったら、私の中のなにかも死んでしまう気がして。
それくらい、彼と、彼に育ててもらった時間が、私の根っこを作っている。
私が貧乏だった頃
大学院生時代、親からの援助もほとんどない状態で暮らしていた間、結構本気の貧乏だった。
主食はスーパーの見切り品と、もやし。
とりあえず卵食べてれば栄養失調にはならないだろうと思って暮らしていた。
それでも、束縛と抑圧と条件付きの愛情に縛られた実家暮らしに比べたら毎日が自由で、貧乏も苦にはならなかった。
素パスタに、マヨネーズとゆず胡椒とめんつゆとだしの素混ぜまくったやつ食べたり。
近所の390円弁当で買った弁当を、昼夜に分けて食べたり。
創意工夫に溢れた貧乏ライフ(笑)
だって、家賃とケータイ代だけは削れないんだもの。
今はごはんを我慢しなくても暮らせるようになったわけだけれども、時々貧乏ご飯が食べたくなる。
卵と揚げ玉で作った親子丼もどきとか。
寝食が全て母親にコントロールされた実家暮らしのままだったら浪費癖が治らなかっただろうから、
今もできるだけ贅沢をせずに暮らしていられるのは、あの不遇の時代のおかげだと思います。
当時は、食べ物くれる人とご飯おごってくれる人は神でした(笑)
私も、食うに困っている若者がいたら、今度は助けてあげる方にならなければいけませんね。
自己分析は、できているようでできてなんかない
自分の性格は、自分でもまだ見たいところしか見ていないふしもあって、
だから全てを認めてはいないのだと思う。
都合の悪いことは、できるだけ視界に入れずに生きていきたいよね!
冷たい人だと思われかねない効率性と分析力とか、
人見知りを隠そうとするあまり裏目に出るテンションとか、
開かない鉄壁の防御を誇る心の壁とか、
一匹狼になりがちな独立心とか、
まだ自分でも面白がれる部分はいいのだけれど。
もっと楽に生きていきたいです。
私は一体どうすればいいのだろう。
完璧主義もこじらせると身を滅ぼす
2010年の日記から
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大学にいること、教育に携わること。
なんとなくでやっていたら身にならない。
私は、無駄にしたくないのだ、何一つ。
だから考えて考えて、行動しなければならない。
考え続ければ、いつか答えは出る。
はず。
根が真面目で完璧主義で他人に苦労を見せたがらない。
自分は大丈夫だと思って無理をする。
癌や鬱になる素地がありすぎてちょっとこわい\(^o^)/ww
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当時から、分かっているのに治す気が微塵もないのは変わらないのね…
でも、ここまで「…しなければならない」「…べき」思考だったことには、気づいてなかった。
多分、長く付き合った恋人と別れて、もう本当に自分には研究に打ち込むしかないと思っていて、まぁポジティブ半分投げやり半分といった具合でこのときは高い志で院生やってたのだ。
その一途さは、いまの私からしたらいじましく、健気にも思える。
この頃の熱意は、いまはすっかりなくなってしまったけれど、この頃の想いがあるから、いまの私があるんたな。
いま初めて気づいたんだけど
もしかして、私はわりとストレスを受けているんじゃない?
客観的に見て、私のいまの状況ってわりとかわいそうなレベルでストレスなんじゃない?(※仕事が)
というのも、目下のストレッサーからの着信を見た直後から腹を下したのである。
これは、認めたくないが完全にストレスが身体に出てますよね…?
なにせ生まれてこの方、生きてるだけでストレスのないことなど一瞬たりともなかったのだから、ストレスのない状態が分からないのである。
そういえば、以前某組織の某揉め事に巻き込まれた際に、私は一時的とはいえ発作性の眩暈症を患ったこともあった。
ストレスにまみれすぎて分かっていなかったが、私はそんなに強くはないようだ。
はてさて、どうすれば私は、死なず病まずに済むのやら。
もしかしたらもう手遅れなのかもね。