午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

ヤバい。

季節の変わり目は、メンタルに来たり、フィジカルに来たり、風邪を引いたり、めまいがしたり、仮眠になったり、いろいろなバリエーションがある私ですが。

今回。

体 重 増 加 。

基本的に体重は増減しない人なのですが、近年見たこともないような体重に…

自律神経やホルモンの働きかしら…

ズボンを買い換えるのだけはイヤだ…

どうにか、痩せねば。

あなたならどうする

久しぶりに精神と肉体のバランスを崩しているために日常生活の遂行すら苦痛なのだが、仕事を含めこれからどんどん忙しくなることは確定しているので、そのうちに忙殺されて、すり減りながらも、孤独と不安感で叫びだしたくなるような事態は免れるようになるのだと分かってはいる。
それでも今現在進行形でツラいことに対してはなんの解決にもならないのである。
仕事を始めてからは、こうやって忙しさで押し切ってしまうことが増えたが、これは問題を先送りしているだけなのではないかと思って、それはそれで先が心配にもなる。 

大学にいたときは。こうなると先生に話を聞いてもらって、漠然とした不安感から、明確な原因やもしくは希望を掬い取ってもらえたから、私は最後にはきちんと自分の足で立つことができた。
先生がいたから、私は安心して泣くことができたし、立て直すために一度崩れてしまうことを選択できた。
 
今では仕事もあるし家庭もあるから、そうそう底まで落ちていくわけにはいかないし、心配されたくないから泣くことも控えてしまう。
これは、我慢強くなったということだろうか。強くなったということだろうか。 
私は「こんなとき、先生だったら何と言ってくれただろう」と思い出そうとするけれども、とんでもなく忘れっぽい私は、そんな詳細な会話まで思い出すことはできないし、できないからこそ今でも一人でこの漠然とした不安感から逃げる術がないのだ。 

憂鬱が致死量

ひどく感情的に落ち込んだ状態で、論理的に物事が整理できない。

生理前なのが悪いのか、夏休みの連休が終わった降り戻しなのか、気候の変化が悪いのか、

とにかく死にたさがざっぱんざっぱんと波のように打ち付けてくるので、頭から被ったタイミングは息ができなくなる。

大きな波を被るのは一瞬だけど、タイミングを間違えば足元を掬われそうだ。

右から左から打ち寄せる波に、どこに逃げることもできない、致死量の憂鬱をやり過ごす術は。

恋をしないと生きられない

ずっと私は自分のことを、恋愛体質だと思っていた。

物心ついた頃からずっと、常に好きな子がいたし、好きだとか憧れだとか、その対象がいることが日々のモチベーションになっているほどで、両思いになることよりも、ただ片思いをしている方がよっぽど楽しかった。

あまつさえ、彼氏がいようと、バイト先や学校で気になる男の子がいるのも良くあることで、もはやここまでくると病気だなぁと、自分でも思っていた。

そんなわけで、結婚すること自体が、自分に向いていないのではないかと思ってかなり躊躇したのも事実である。

ただ予想に反して、結婚して以降、私の“恋をしないと生きられない病”はすっかりなりを潜めてしまったのである。

色々考えてはみたが、恐らく、安定した所属先ができたことにより、安心したのではないかと自己分析している。

私はずっと、絶えず誰かからの承認を求めていて、私がふわふわと恋心を持ち続けていたのも、それは翻っては「自分が愛されたい」という気持ちに他ならなかったのかもしれない。

ということは、私は今、愛されているということなのかしら。

いや、正しくは。愛されているということを認められるようになった、のでしょう。