ヤバい。
季節の変わり目は、メンタルに来たり、フィジカルに来たり、風邪を引いたり、めまいがしたり、仮眠になったり、いろいろなバリエーションがある私ですが。
今回。
体 重 増 加 。
基本的に体重は増減しない人なのですが、近年見たこともないような体重に…
自律神経やホルモンの働きかしら…
ズボンを買い換えるのだけはイヤだ…
どうにか、痩せねば。
自由に
誰も自分を知らないところへ行きたい。
それが唯一、自由になれる手段のような気がする。
それでもそこで暮らすうちには、しがらみも不自由さも出てきて、やっぱり私は逃げたくなるに違いないのだ。
あなたならどうする
大学にいたときは。こうなると先生に話を聞いてもらって、漠然とした不安感から、明確な原因やもしくは希望を掬い取ってもらえたから、私は最後にはきちんと自分の足で立つことができた。
今では仕事もあるし家庭もあるから、そうそう底まで落ちていくわけにはいかないし、心配されたくないから泣くことも控えてしまう。
私は「こんなとき、先生だったら何と言ってくれただろう」と思い出そうとするけれども、とんでもなく忘れっぽい私は、そんな詳細な会話まで思い出すことはできないし、できないからこそ今でも一人でこの漠然とした不安感から逃げる術がないのだ。
恋をしないと生きられない
ずっと私は自分のことを、恋愛体質だと思っていた。
物心ついた頃からずっと、常に好きな子がいたし、好きだとか憧れだとか、その対象がいることが日々のモチベーションになっているほどで、両思いになることよりも、ただ片思いをしている方がよっぽど楽しかった。
あまつさえ、彼氏がいようと、バイト先や学校で気になる男の子がいるのも良くあることで、もはやここまでくると病気だなぁと、自分でも思っていた。
そんなわけで、結婚すること自体が、自分に向いていないのではないかと思ってかなり躊躇したのも事実である。
ただ予想に反して、結婚して以降、私の“恋をしないと生きられない病”はすっかりなりを潜めてしまったのである。
色々考えてはみたが、恐らく、安定した所属先ができたことにより、安心したのではないかと自己分析している。
私はずっと、絶えず誰かからの承認を求めていて、私がふわふわと恋心を持ち続けていたのも、それは翻っては「自分が愛されたい」という気持ちに他ならなかったのかもしれない。
ということは、私は今、愛されているということなのかしら。
いや、正しくは。愛されているということを認められるようになった、のでしょう。