私の神様(5)
私が、愛着の獲得をやり直している頃、その姿は端から見れば異質だったのだと思う。
今思えば自分でも十分分かる。女子大生と妻子持ちの指導教官が、仕事や授業の準備とはいえ、常に行動を共にしていて、頻繁に研究室で二人きりであるというのは。
誓って、何もやましいことはなかった。
正確に言えば、私のスタートはほとんど恋心であったと思う。こちらを振り向いてほしいという気持ちがあった。私のことを見てほしいと願っていた。言葉にこそしなかったが。
そして、彼はそのことが分かっていたはずだ。彼はその私の気持ちを、ただ認めてくれた。好意が駄々漏れている私に、他の学生と同じようにただ当たり前のようにそのまま接して、その好意を、受け取りも、拒絶もしなかった。
それは、残酷で優しいことだった。絶対に報われない片思いが許されているということは。
そして、少しだけ特異な師弟関係は、研究や仕事の中で、バディのようになっていき、
大学において周りの状況が大きく変化し、トラブルに巻き込まれていく中で、運命を共にする仲間のような関係に変化していった。
好きだ惚れたなどという気持ちではなく、絶対的な信頼に変わっていた。
だから私たちは男女の関係にはならなかった。
なる理由がなかった。
私は彼に父性を求め―まぁそんなこと本人には言ったことないけど―、彼は私を、少し年の離れた妹のように思っていた(らしい)。
何かを。自分の一部分を共有しているような感覚が、きっと私だけではなく彼にもあるのであろう。
アイデンティティと承認欲求
私は、どちらかというと古いタイプの人間です。
青年期にぶつかった「自分は何者か」「誰も私を必要としてくれないのではないか」という問いに、
自らの内面と向き合おうとすることで答えを探してきました。
今は、イイネを求めてインスタやらなきゃいけないんでしょ?(偏見)
と表現するとキャッチーかつバカにしてるみたいになってしまうのですが(笑)
自分の価値を測る方法は、他者を通すことしかない、ということなのでしょう。
そのうちに、我々は「自分は何者か」なんてことに悩まなくなるのでしょう。
「自分が何者なのか」を掴むことがアイデンティティの獲得であった近代に対して、
「自分は何者かである」ということすら、求めずとも生きていけるのが現代だということなのかもしれません。
そして、アイデンティティの確立の過程であった他者からの承認への欲求は、それだけが独立し、インターネットに染み出しているような気がします。
少女のまま
例えば「LEON」(これが唯一無二)や、「うさぎドロップ」(ただし、ラストには納得いかない…)や、「 BLOOD ALONE 」(打ち切り以降読んでない)が好きで、
つまり、私の好みとして“年上男性が”“年の離れた少女を”“心の支えとして”“(基本的には)性欲抜きに”“庇護し慈しむ”というストーリーが好きなのだ。
ここまでくると自分でも性癖だと思う。
まぁ、真相心理はファザコンなんでしょうけど。
お陰さまで、年上男性ばかり付き合ってみたものの、追われると逃げたくなる性分のせいでうまくいかなかった。
そりゃ、性的な対象として見られたくないんじゃ、どうしようもない。
今思えば、当時の彼氏には悪いことをしたよなぁ。
せっかく若い女の子と付き合ったというのに(苦笑)
きっと私は、守られるべき幼い少女のままでいたいのだ。
精神分析で言うところの、リビドーの固着か。
いつか回収されるのか…?
書くこと
私はずっと、何か焦りを抱えながら生きてきた。
ずいぶん少なくなったとはいえ、今もそうだ。
そしてその焦りから、私はずっと文章を書いている。
表現しなければ生きていけない。
私の世界と私のいる世界を描写すること、すなわちそれが存在の手立てであり証明だと思っていた。
私にとってその時、書くことは愛することで、許すことで、祈ることで、思うことで、留まることで、進むことであった。
油断をするとあっという間に過ぎて行ってしまう時を、私はつなぎとめておきたかった。
どんどん薄れていく記憶の中で、せめて忘れたくないことだけは、書き留めておく必要があった。
油断をするとあっという間に忘れてしまう思いを、私は覚えておきたくて書く。
油断をすると立ち止まってしまうこの身を、私は奮い立たせたくて書く。
―――――
愛さなければ生きていけないのは愛されなければ生きていけないから。
ひとさじのよろこびとひとさじの悲しみがあるなら、その価値は同じだと、なぜ人は言わないのだろう。
全ての心の動きを書き記せたらいいのに。
ペンを握る私の手は無力で、
けれどあなたを抱きしめるためにある。
私が私を許せる日が来たなら、その先にある景色を、見たい。
―――――
今も、私にとって書くことは、息をするように自然なことである。
今まで狂わずに生きてこれたのは、そのおかげである。
表現することができなければ、私はとっくに耐えられなかったはずだ。
普通になりたい、と私は泣いた
子どもの頃は、二十歳になれば大人なのだと思っていた。
大学生の頃は、卒業すれば大人だと思っていた。
大学院生時代は、就職すれば大人だと思っていた。
…さて、三十路にさしかかってなお、私はちっとも大人になった気はしないので、もうきっとこのまま40にも50にもなるのだろう。
子どもの頃からすれば、ずいぶん思慮深くなった。
大学の頃からすれば、状況に合わせて動けるようになった。
大学院生時代からすれば、自立した。
大人になった気はさらさらしないが、今の自分の方がまぁマシだと思えるだけでも十分だと思う。
病んだまま世間に対して斜めに構えていた頃に比べれば、丸くなった。
私はずっと、普通になりたいという欲と、普通でありたくないという願望の間でバランスを取れずにもがいていた。
唯一無二の自分でありたいという願いと、他の子と違うことの不安は、どうにも両方解決する案件ではなかったからだ。
心配しなくていいと、お前はそのままでいいよと、全然納得しない私に対して言い続けてくれた先生のおかげで、私はやっと私であることに怖さを感じなくなった。
いまだって自分を持て余している。
けれど、先生がそのままでいいと言ってくれるなら、まぁいいかと思えるのだ。
あと、主人も私のことをそのまま受け入れて、ちょっと変わっていることはあまり気にしていないし。
年齢的にはいい大人になっているはずだけれど、私は私を大事に思ってくれる人のおかげで、なんとか生きています。