諦め
自分の中で、絶対的な諦めが、蔦のように生い茂っているというか、倒木のように横たわっているというか、足元に水のように泥のように溜まっているというか。
私は、人間は興味深いし好きだけれど、根本的なところで「人は分かり合えない」という決定事項がある気がする。
それはきっと、自分の親が自分のことを理解してくれなかった、と感じた絶望に起因しているとしか思えない。
そしてここまで分析できているのに、やっぱり、「人は分かり合えない」という以外の可能性が感じられない。
絶対的な他者など存在しない。私を愛してくれる他者も、私が他者を愛することも、ないような気しかしない。
ただ例外があるとすれば先生で、彼だけは、私が私である限り、私のことを大切にしてくれると信じていられた。
わがままを言っても迷惑をかけても、文句を言っても言うことを聞かなくっても、彼は私を否定しなかった。
だから、そういう関係性を作り上げることはできるのかもしれない、という希望はある。
でも私は、それは幸運にもその時たまたま私なんかにもたらされてしまっただけで、そんなものは本来私は望むことすら許されないのだという考えが離れない。
それ以上に、家族だったらもう全然だめだ、という確信。
他人の方が気楽。
血のつながりなどいらない。