なみだのあと
いまよりもっと、自分の人生に納得がいっていなかった頃。
私はもっと、自分の不安定さを一人で抱えることができなくて、私はよく泣いていた。
恐らく、涙として排出しなければ私の心と体は耐えられなかったのだと思う。
(仕事を始めてしまえば、あの頃はなんて些細な事でいっぱいいっぱいになっていたのだろうとか思うんだけれども、その時のキャパシティはそれだけしかなかったということで…)
初めは、中学生くらいの頃。折り合いの悪い母との関係や、学校でのことで、よく風呂に入りながら泣いていた。誰にも気づかれないためには、そこしかなかったから。
当時私は感動や悲しい、ではなく、悔しさでしか泣かなかった。泣けなかった。
その後も、誰かに心の内を言い当てられたり、優しくされると泣きそうになって困った。これは、今でも変わらない。
そして、私は私の先生に出会って、自分のうちに貯まっている混沌や澱みについて、少しずつ言語化するようになった。
話しているうちに段々感情が高ぶってきて、決壊するように涙が溢れて、泣き止んでしまえばなんだかすっきりしている、という状態で。
それは一種のデトックスだったのだと思う。
彼の庇護のもとにあった間、ストレスがかかったり、一人で抱えきれないことが起こったりしたときには、先生のところに逃げて行って、話を聞いてもらっていた。そして大体毎回、泣いていた。
泣くことが許されなかった子ども時代の抑圧のせいで、私の「泣く」という機能はなんだかおかしい。