午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

「普通」という目に見えない制服

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 あるある。

ふつう、が分からないのだ。

もう私の場合はそれを開き直っているフシもあって、

(というか、研究とかやろうという人間は、人と同じ感覚じゃやっていけないから、変わっていてナンボです)

『天然』とか、『ちょっと変わった子』ポジションになることについては慣れている。

それでも、仕事上の『ふつう、こういうときはこうするよね』とか、『ふつうあそこであんなこと言わないよね』っていうのが、私にはわからないのでいつも困ってしまいます。

 

それでもしんどくなったら、「自分は『ふつう動物園』にフィールドワークに来ているんだ」と脳内転換しよう。

「ふつう動物園」には、「やさしい課長」とか「おせっかいだけど、いろいろ教えてくれるパートの主任」とか「チクチク言ってくる係長」とか、いろんな“動物”がいて、それぞれが自分にとっての「ふつう」を言ってくる。

「へえ、この人にとっての『ふつう』って、こういうことかあ」と観察する心の余裕をもとう。「ふつう」と言いながら、そこにはその人の凸凹が表れているはずだ。それを突き止めてみよう。

 

頑張ってその仕事上の『ふつう』を、経験則で身につければよいのではないかとか思ったこともあるけれど、結局この記事の通り、それぞれの人がそれぞれの『ふつう』を言っているだけなので、全部合わせるのは不可能だという結論に達したので放棄しています。

そもそも、自分にとって『ふつう』がないんだよなぁ…

それでも一応、社会的に、『全くもってあり得ない!!』と思われない程度の逸脱で留めておきたいな、というのは思っています。