満たされない子ども(1)
なんとなくネットを見てて、見つけたんだけど、
アダルトチルドレンチェック
が当てはまりすぎててどうしよう…
◎どのように人に関心を持って関れば良いのかが分からない
→他人に興味がない。基本的に自分のことでいっぱいいっぱい。それなのにどうして教師をやっているのか。(自己矛盾)
私という人間は、本質的に他人に興味がないんだと思う。本当に。
人の気持ちを理解しようとすることも、ひどく苦手である。
だって答え合わせのしようがないじゃない・・・
仕方がないから、病的な心配性と反省と絶望を繰り返しているのです。
それなのに感じんなところで雰囲気クラッシャーしたり余計なことをいってしまうのだから、もはや自分の努力の方向性は、自らの首は絞めれど実を結んでいない気がするよ・・・
多分、母もまたそうだったから、私は幼少期に望ましい気にされ方をしてこなかったのだろうと推測する。
人間は好きだ。けれど、なにか致命的に関わり方がわかっていない部分がある。
○いつもなにかが足りないという空しさや寂しさを感じる
→ひと頃よりずいぶんマシになったものの、欠損感は常に感じます。なにか、まだ自分が完璧ではないように思います。
なにか、その足りない「何か」を求めているのだけれど、物なのか人なのか精神的なものなのかもわからないのです。
子どもの頃から、母親から人格否定をされ続けた結果だとは思うのですが、その「何か」さえあれば完璧になれるという感覚がある時点で、私も大概たくましいですよね(笑)
面白そうなので、当てはまる節を分析していこうと思います。
一筋の希望
気にしすぎて遅れただけなのか、結論から言うと妊娠はしていなかったようです。
(予定より遅く来た月経痛のせいで、職場で動けなくなった話はとりあえずおいといて)
『子どもができたのかもしれない』と思い当たったときに感じたのは、決して絶望ではなかった。なんなら困惑ですらなかった。
最初にあったのは、喜びだった。
そしてそれは、自分でも意外だった。
なんだ。私、子ども持ってもいいと思ってるんじゃん。
自信ないとかなんだかんだ言いながら、いらなくはないんじゃん。
まぁ、長らく待たせている親や主人への引け目があるとか、産休・育休に入れば合法的に仕事が休めるとかはおいといて。
…おいとくことばかりだな(苦笑)
でもなんかちょっと、足踏み期間から抜けた気がする。
これなら堂々と、『子どもがほしい』と言える気がする。
言ってもいい、気がする。
相反して
完璧主義と不安傾向のふたつが、とにかく私の人生を生きにくくしている気がする。
やらなければならないことは山ほどあるのに、何をする気力も起きないのだ。
あと、人から悪く思われることが怖すぎるのに、人間関係うまくやれる気もしないしそこに割くエネルギーがそもそもない。
『完璧にやれる自信がない』から『なにもしない』を選択してしまう。
そのことにまた引け目と後悔の念を抱き、死にたくなるのだ。
もちろん具体的な事象(例えば仕事上のトラブルとか)ももちろんストレスだが、
漠然とした、姿形のない、もはや存在もしない不安の方が私を蝕む。
だから、私にとって分からないことが最も恐ろしい。
一方、知ってさえいればどんな困難であっても、割とどうにでもなる。
だてに修羅場はくぐっておりませんもので。
この後半ばかりが人の目に付くため、私はバイタリティーのある強い人間だと思われる傾向にある。
それでも、私の本質は弱く、逃げてばかりだ。
だから、求められる虚像の通りに生きられない自分に辛さを感じ、また自我が軋むのである。
難儀な生き方よ。
ハロウィン。
いつの間にか、日本人の潜在的コスプレ遺伝子と相まって定着した、日本的ハロウィンには、違和感を禁じ得ない。
ミニオン?ミニヨン?多すぎでしょ(笑)
クリスマスのようにこのまま年中行事として定着するのでしょうか…
個人的には、20年ほど前に英会話教室に通っていたときにハロウィンの仮装をしたのが最初で最後かと。
ちゃんとその時には、黒猫とか魔女とかをやりましたよ。
でも、バレンタインにおけるチョコレート業界の関係のようなお金もうけの気配ではなく、
やっぱり日本人の異装願望が背後にあるのだろうなと思います。
だから、「ハロウィンが広まった」というよりは、「ハロウィンを言い訳にコスプレがしたい」というのが核心かなと。
あぁ…「日本人と異装願望ー日本におけるハロウィン普及からの考察ー」、人文学か民俗学系で誰か論文書かないかしら。
いや、もうあるのかもな…
タイトルなし
朝から発☆熱☆
けれど、休むとあとが面倒だから仕事には行くのだなぁ…
「もったいない」
言われる言われる。
「もったいない」
それって、
「あなたの学歴・経歴は我々の職場では手に余る」
という意味ですよね。
私も文系大学院卒で、とはいえレベルは大したことはなく…というか、いまの居住地では知名度がないので助かっている。
(未だにムラ社会みのある地元においては、絶大な公立ブランドw)
もう何年も研究から離れてしまっているので、学閥も大学のランクも無縁になって久しくて、
その事もちょっと寂しく感じるけれど。
アカデミックな世界では自分の学歴も経歴も低レベルなのは自覚がある。
今さらアカデミックラインの王道に戻るには、かなりの努力と勇気がいるだろう。
(現任校でまともな研究など望めないし論文に打ち込む時間もねぇ!)
帯に短くたすきに長いのである。
なんでだろうね。
「もったいない」
と言われる度に、『あなたのことは仲間だとは思っていない』という意味に聞こえてなりません。
被害妄想かしら。
でも、確かにキャリアプランとしてここを終着点にするのは、自分でももやっとはする。
機会さえあれば、まだキャリアアップしたい…アカデミックラインに戻りたい…
けれど、前向きに転職準備をする気力すらないわけで色々と詰んでるざます。