午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

深い河

時々思い出すのが、宇多田ヒカルDeep RiverのMV。

冒頭、美しい海と島の映像と、詩の朗読から始まる。

彼女の内面から溢れる美しい言葉たち。

 

 

 

Deep River+

 

 

二つの鏡が 向き合い 音を立てて 反射し合った。

自分によく似た人に出会った時、私はそんな音を 立てるだろう。

 

子供も 大人も、鏡に映る自分を見るのが好きだ。

映されようと夢中になり 自分もまた鏡であることを忘れれば、

人は静かな空間をもてあまし 虚しさを覚える。

 

私は 鏡だ。

 

光の届かない場所で動けずにいる者に 手を差し伸べるのではなく、できる限り近くに自分を置く。そして同じ景色を観る。

痛みは、誰かと共感できたなら 気持ち良いものに変わるということを 知っている。

悲しみが減るのでも世界が変わるわけでもないが、私の中で反転された世界は確かに新しい景色に見えた。

誰もが自分に似たものを探している。

どんなに自分が嫌いであろうとも、自分に似たものなら 愛せる。

尊敬や憧れという感情には、愛が無い。

然るに人が一生の中で最も愛すのは、世界で一番似ている人ーーー自分の子供。

 

私は子供だ。

 

正しい道を進んでると信じているから、途中で捨てたもの、あきらめたものを、

犠牲だなんて 思わない。

 

空が目を閉じる。

アディクション

http://www.a-h-c.jp/article/7182

www.a-h-c.jp

 

↓引用ここから↓

 

機能不全家族とは、どんなものなのでしょう?

子どもが育っていくためには、十分に愛され、受けとめられ、リラックスできる場が必要です。

もちろん、どの家庭にもさまざまな問題は起こり、このような機能がいつも果たせるわけではありません。問題となるのは、こうした「機能不全」の状態がシステムとして固定してしまった場合で、アディクションに侵された家族は、まさにその典型と言えます。

両親の不仲や親の情緒不安なども同じような状態をつくり出します。

機能不全家族には、次のような暗黙のルールが支配していると、クラウディア・ブラックは述べています。

 

<話すな>問題について話し合うのはよくない。

<感じるな>感情を素直に表わすのはよくない。

<信頼するな>人を信じてもろくなことはない。

 

機能不全家族で育った子どもは、小さい頃から親に十分甘えたり、のびのび遊ぶ機会を与えられないことがしばしばです。

両親のいさかいに巻き込まれたり、いつも自分のことは後回しにされたりします。

幼い頃から家庭内の緊張を感じとり、なごむように冗談を言ったり、親のグチの聞き役や世話役になったり、不安な状況を避けるため片隅で息をひそめたり、「いい子」になることで自分の存在を認めてもらおうと苦しい努力を重ねたりします。

逆に「悪い子」を演じることで親の問題を見えなくさせる役目を果たしている場合もあります。

子ども時代に身につけた生きる手段は、その人の個性・能力・特技として発揮される一方で、その人をがんじがらめに縛る鎖ともなります。

たとえば、リラックスするのが苦手だったり、自分の気持ちを表現できなかったり、他人の問題まで自分の責任として引き受けてしまったり、という風に。

こうした中で、ある人は仕事にのめり込み、ある人は世話をする対象を求め、ある人は緊張をとくためにアルコールや薬物に依存していきます。

こうして、多くの人が、自分の育った家庭と同じような問題を再現することになります。

あなたの中の機能不全のルールをひっくり返して、健康なルールに置き換えましょう。

 

↑引用ここまで↑

 

『まぁ、言うほどひどい家だったわけではないし…』と、自分の実家を思いそうになることもあるのですが、やっぱりどう考えても機能不全家庭ですよねー。

私の場合、物理的にリラックスすることができず、常に筋肉が緊張した状態です。

「力抜いて」って言われても、何もしてなくてもこれなんだよ!

さらに寝ているときも噛みしめがひどいので、年々顎関節症が悪化していきます。

 

「人を信じるのはよくない」という刷り込みは、先般の主人の件で発動し、

『やっぱり信じたのが間違いだった』という謎の安心感兼絶望があります。

健康的に、他人を信じること自体が、もしかしたら私にとっては無意識のストレスだったのかもしれません。

 

ちっとも機能不全家庭で培ったものから解放されません…

諦め

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自分の中で、絶対的な諦めが、蔦のように生い茂っているというか、倒木のように横たわっているというか、足元に水のように泥のように溜まっているというか。

私は、人間は興味深いし好きだけれど、根本的なところで「人は分かり合えない」という決定事項がある気がする。

それはきっと、自分の親が自分のことを理解してくれなかった、と感じた絶望に起因しているとしか思えない。

そしてここまで分析できているのに、やっぱり、「人は分かり合えない」という以外の可能性が感じられない。

絶対的な他者など存在しない。私を愛してくれる他者も、私が他者を愛することも、ないような気しかしない。

 

ただ例外があるとすれば先生で、彼だけは、私が私である限り、私のことを大切にしてくれると信じていられた。

わがままを言っても迷惑をかけても、文句を言っても言うことを聞かなくっても、彼は私を否定しなかった。

だから、そういう関係性を作り上げることはできるのかもしれない、という希望はある。

でも私は、それは幸運にもその時たまたま私なんかにもたらされてしまっただけで、そんなものは本来私は望むことすら許されないのだという考えが離れない。

 

それ以上に、家族だったらもう全然だめだ、という確信。

他人の方が気楽。

血のつながりなどいらない。

Too proud

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友達には言えるのにな

あなただけには言えないわ

喧嘩を避けることが優先事項になってまぜこぜ

理性惰性 We say やれやれ

旦那の愚痴子供に言うお母さん

子供の立場からしたら

家族といるよりも他人といるほうが気楽

男と女は出会った瞬間が最高と

ビートたけしが言ってる

インタビューをネットで読んだ

お互いがお互い変えていく

開かれた心閉ざし合って

切る 切る kill

 

宇多田ヒカル Too proud

インナーチャイルドが許してくれない

【ゆる不妊治療記録。だったはず】

 

結局、どちらにも気持ちは割り切れなくて、

不妊治療を続けるのか辞めるのかも決めきれずにいる。

 

自分の子どもはいらない。

でも仕事は休みたい。

主人の子どもは別にいらない。

でも今までかけたお金と時間と労力がもったいない。

 

その堂々巡り。

できることなら養子縁組が私的にベストなのだが、そこは主人が折れてくれない…

だって。

10か月もお腹の中に人間入れて大きくするの大変じゃん!

そして死ぬ思いして産まないといけないの大変じゃん!

そのあと、ボロボロの体で新生児をみないといけないの大変じゃん!

せめて、身体的なダメージをスキップできるなら、頑張れるかもしれないと思ってるんだけど、ダメなんですかね…

血のつながりは、私にとってメリットにはなり得ないので、

むしろ社会からお預かりした子どもを、責任を持って育てる方がいいと思っている。

しかし、それはどうにも一般的ではないらしい…。

 

母の血を受け継いだ私が、私の血を受け継いだ我が子に優しくなんてできるはずがない、という謎の確信がある。

ああそれはきっと、

『母は私には優しくしてくれないのに他所の子にだけは優しい』

って思ってきた、小さな頃の自分の気持ちなんだろうな。

荒れていました。

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さて。ずいぶん間が空いてしまいましたが。

 

何をしていたのかというと、荒れ狂ったりしていました。

もうかれこれ10年ほどマジで人にキレたことなんてなかった のですが、

詳しく書きませんが、数年にわたる主人の不貞行為が発覚し、さすがに我慢できませんでした。

 

なによりも、『この人は誠実な人だ』ということが、結婚の最大の要因だったので、

その前提がなくなってしまったことへの失望とショックが大きかった。

私は今まで何を信じていたのだろう、という情けなさ。

一応主人は謝ったし二度としないと約束してきたのですが、

態度を軟化させない私に対して「じゃあ一体他にどうすれば気が済むわけ?!」と逆ギレしてきたりして、本当にクズっぷりを発揮。

自分はバレて謝ってスッキリしたでしょうけど、私はそうじゃないに決まってるだろうが。バカなのか。

仕事さえなければ離婚届もらいに役所に行きたいくらいでした。

 

それでも、離婚したときの面倒くささとデメリットの多さに、別れることこそ思い止まりましたが、不妊治療へのモチベーションは完全にゼロです…

自分の子どもがほしいというモチベーションは元々ない上に、主人のことまで信じられないのですから、ただただお金はらって痛いこともしたいわけがない。

 

それでも、不妊治療を始めてしまった手前、止めるのはここまでかけてきた時間とお金がもったいないし、義理の両親にもどう説明すればいいのかと…。

周りにも、「やっぱり子どもはいらないかなと思って!」と言えるはずもなく。

 

一体どうすればいいのでしょうか…