午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

答えがでない

我ながらどうなのかと思うけれど、ずーーーーっと子どもを産むことを躊躇している。もう年単位で躊躇している。

でも分かっているのだ。もうそれこそ文字通りに、案ずるより産むがやすしなのだと。

しかし、検査をするにつれ事情があまり芳しくないことも分かってきて、どうやら自然妊娠を待っていると、子どもを授かるのはいつになるんだか分からない。

そろそろ次のステージを考えないといけないところまで来ている。

それでも自分は、自分の子どもという恐ろしい存在を、今後20年以上死なないように育てていかないといけないという責任を果たす自信が持てないでいる。

いっそ、里子か養子縁組を考えたらどうだ、と思ってみると、案外それならいいかなと思ってしまうあたり、私の恐怖はやはり血なのだ。

私の。母の血を受け継ぐというのは、自分を苦しめる血族の再生産になりはしないか。被害者で、加害者にならない保証などない。

他の誰かや、社会からお預かりした子どもを育てるというのであれば、私は頑張るよ。自分の子としてきっと大切に愛情を注ぐよ。この倒錯。なんなんだろうか。

 

・本当は望んではいないのに、「子どもを持たねばならない」と思ってプレッシャーになっているのか。

・深層心理では子どもを持つことを望んでいるからこそ、悩んでいるのか。

 

いっそ子どもができればこのモヤモヤはなくなるのか、それとも潔く実子をあきらめた方が、気が楽になるのか。

分からない。

それなのに不妊治療に進む?

我ながら訳が分からない。

戻れない

彼に初めて会ったのはもう10年以上前で、そのうち半分の期間は、もう日常的に会ってなどいなくて、

本当に近くにいたのは、思い返せばたった4年ほどなのだ。

 

それでも時折先生との記憶を思い出すと、寂しいような照れ臭いような気持ちになります。

 

憎まれ口を叩くのも、悪口を言うのも、私が心から自分を信頼しきっているからこその甘えだと彼は知っていたから、そのままにしてくれていた。

 

その肯定が、私を救ってくれた。

 

彼氏と別れる別れないのすったもんだをしていたときも、研究しながら貧乏生活をしていたときも、いつでも見守って手をさしのべてくれて、いや、彼氏とのいざこざは苦笑しながら話聞いてくれただけだけど(笑)

 

引っ張ってくれたわけではない。でも、いつでも逃げ込ませてくれた。そしてまた、背中を押してくれた。

 

いくら感謝しても足りない。

どうしようもない青年だった私を、見捨てないでいてくれて。

責任を他者に転嫁した人間は無敵

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56393

gendai.ismedia.jp

 

面白い試みだと思った。

「いい」も「悪い」も、現代人は感覚か片寄った情報でばかり判断しようとする。

その真の危うさというか巧みさというか、そして人間の弱さと怖さを感じるためには、体験してみるってのはいいと思う。

ただ、この学生さんのなかに、ちゃんと自分で物事を考えられない子がいるとね…めんどくさくなりそうだけどね…

1周年

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そういえば、ここを始めて1周年でした。

初めは、書くことで整理したり吐き出したりしないと生きるのがツラい(いや、書いててもツラかった)レベルでしたが、

今は仕事の配置が若干変わって疲れはしますがなんとかやれています。

まぁ、おかげで更新頻度が下がったのは、いいことなのかどうなのか…(苦笑)

いつも☆やコメントありがとうございます。

どこの誰だか知らない人に見ていただけるというのは、なんだか安心します。

 

引き続き、生育歴的に病んでいる自分の、これまでやこれからやいまについて文字にしていきたいと思います。

生き延びてしまったからね。