そういえば
ごくごく若干名のリアル信頼できる人にこのブログのアドレスを教えてはいるのですが、
もしそうでないリアル知人に知れたら本当に切腹モノだよなぁ…
恥ずかしい…恥ずかしすぎる…!
(ちなみに、教えているのはメンタルの話をしても大丈夫な数少ない相手だけです)
普段、ちゃらんぽらんを装っているのに、こんなにネット上でめんどくさい文章晒してるんだよ?!
普通の人には、きっと気持ち悪いと思われるだけだと思うから…
いや…でも、見つけたらいっそそう教えてくれ…!!
知られているのに私はそれをつゆほども知らないというのは、ちょっとツラすぎるから…!!
いや、でもこんな広大なネットの海で見つかるなんてすごい確率だと思うから、きっとそんなことないと信じたいけどねぇ…
自己分析
死にたい気持ちになりつつ、興味深い気付きがあったので言語化しようと試みる。
職場で、私のせいで1人、本来帰る時間に帰れない事態が発生、なおかつ、残ってもらったのにそのことにあまり意味のない結果になってしまった。
謝ったけれど、明らかにイラッとした様子で、自分の帰り道に申し訳ないなぁとばかり考えていた。
と。ここで、「本当に自分は申し訳ないからそのことを気にしているのだろうか」という疑問に思い当たった。
先日書いた、「女性の負の感情が苦手」事案なのではないかこれは。
だったら、「申し訳ない」から気にしているのではなく、「女性のウェットな怒り」に対して反応してしまっているのではないか。
私は、「帰るのが遅くなる原因を作ってしまったこと」は謝るべきだし、「次はそういうことがないようにする」必要はあるけれど、
「あなたを不快にさせてしまった」ことに関しては、ちゃんと謝ったらあとはそれを受け入れるかどうかは相手次第でしかないはずなのだ。
ただでさえ下降気味のメンタルをさらにすり減らすわけにはいかない。
自分は結局、決して気を遣っているのではなく、ただただ自分がいい人でいたいという利己的な目的のために振る舞っているのだ。
その目的が果たされなさそうになると、ツラく感じるのだ。ただの自己満足だ。その基準は捨ててもいいものなのだ。
また明日、ごめんねって言うしかないわな。
ひのきの棒で戦い続けている
苦手なこと(4)
私は、なかなか物が捨てられない。
家のなかは、適切に収納されない大から小までの雑多なものが散乱している。
その中の何割が、いまの日常生活に必要なのかと言われれば間違いなく3割くらいだと思うけど、処分できないのだ。
ついでに言うと、子どもの頃私は、色んなものを拾ってくる子どもだった。
きれいな石とか、瓶の王冠とか、なんか分からない鍵とか。
そうやって自分の気に入ったものを集めたがるのは、きっと深層心理の何かの表れなんだろう。
あえて掘り下げることは止めておくが。
何かを捨てようとしたときに、『もしかしたらこの先使うかもしれない』と思ってしまうと捨てられなくなるのだ。
つまり、後から『あのときあれを捨てなければ』と後悔するのが怖いのだ。
まぁ、そんな可能性はそうそうないわけだけど。
ただし、もう今は自分一人で住んでいるわけではないので、もう少し家のなかに秩序がほしい…
あと、足の踏み場も…
もうなんか
疲れた死にたいと思うけど、
それは正確には死にたいじゃなくて
「いまある煩わしいこと全部振り捨てて寝ていたい」
なんだよな。