タイトルなし
そういえばここ何週間もずっと憂鬱な気がする。
気持ちが晴れない。
死にたいほどではないけれど、生きていたくはないカンジ。
絶望はしていないけれど、憂鬱。
量子測定理論的妊活
次の月経までの間、答え合わせのできないなかで、
いつも私は「シュレディンガーの猫」という単語を思い出す。
その中に、いるかもしれないし。いないのかもしれないし。
どちらもが重なり合って存在している間、
私のお腹の中にはシュレディンガーの猫がいるのだ。
制約も、打算もある。私の職場では、制度はあっても替えの利かない仕事も多いため、
1年未満で復職せざるを得なくなる。
どうにか最大限休もうとすると、かなりタイミングには気を使わなければならない。
年度初めとか年度末とか絶対ダメ。絶対無理。おちおち産休になど入れない。
けれど、すぐに戻りたいわけではない。どんな理由であれ、
(育児の方が結果的に大変であれ)仕事は最大限休みたい。合法的に休みたい。
「愛し合ったふたりの子どもが欲しい」だなんてポエムではなく、
私には利己的な打算しかない。
そんな不純な動機で子どもなどできるのだろうか。
できなきゃ、それはそれで因果応報なのかもしれない。
不完全なひとりの人間として。
https://anond.hatelabo.jp/20140402111648
そう。
私は、物理的に実家と離れたことでかなり精神的に安定しました。
そうすることで、母の方も私のことを「自分の管理下にいる者」という認識を外したのか、表面的には優しく振る舞ってくれるようになり、
かなり関係は改善し普通の母娘のようになっています。
うっかりすると、実家を美化しまって懐かしくなってしまいそうになるのだけど、
いやいや、もうあんな家には戻りたくなんかないと、初心に戻る(笑)のです。
今になれば、母について、理解はできます。
きっとあのとき母も辛かったのだろうとか、我慢してきたのだろうとか。
けれど、私は彼女を許さないと決めたのです。
そうでないと、あの頃あんなに傷ついた、あの頃の私がかわいそうだ。
母に、反抗して反抗して、私はやっとサバイブしてきたのだ。
理解はしても許しはしない。
そうでなければ、私はアイデンティティが揺らいでしまう。
結局これが正しいのか分かるのは、母が死んだ後なのだろうと思います。
母がいなくなった私の世界が、自由であることを心から願います。
好きなことを
ネットの海で、時々この言葉に再会する。
いつも、勇気をもらうようで、でもそうできない自分が悲しく感じます。
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これはあなたの人生です。
自分が好きなことをやりなさい。
そして、たくさんやりなさい。
何か気に入らないことがあれば、それを変えなさい。
今の仕事が気に入らなければ、やめなさい。
時間が足りないのなら、テレビを見るのをやめなさい。
人生をかけて愛する人を探しているのなら、それもやめなさい。
その人は、あなたが自分の好きなことを始めたときにあらわれます。
考えすぎるのをやめなさい。人生はシンプルです。
すべての感情は美しい。食事を、ひと口ひと口を味わいなさい。
新しい事や人々との出会いに、心を、腕を、そしてハートを開きなさい。
私たちは、それぞれの違いで結びついているのです。
自分のまわりの人々に、何に情熱を傾けているかを聞きなさい。
そして、その人たちにあなた自身の夢も語りなさい。
たくさん旅をしなさい。
道に迷うことで、新しい自分を発見するでしょう。
ときにチャンスは一度だけしか訪れません。しっかりつかみなさい。
人生とは、あなたが出会う人々であり、その人たちとあなたが作り出すもの。
だから、待っていないで何か作ることをはじめなさい。
人生は短い。
情熱を身にまとい、自分の夢を生きよう。
あけまして
おめでとうございます。
生きています。
仕事も、一応しています。
ポカばかりですが。
今年の目標は、無理をしないことです…
間が開いてしまいましたが、リハビリがてら少しずつ文章を書いていこうと思います。
タイトルなし
些細なことでイライラする。
そしてイライラしている自分にイライラする。