午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

量子測定理論的妊活

不安も葛藤もあれど、夫とも話し合い、いま、子どもを待っている。 
次の月経までの間、答え合わせのできないなかで、 
いつも私は「シュレディンガーの猫」という単語を思い出す。 
その中に、いるかもしれないし。いないのかもしれないし。 
どちらもが重なり合って存在している間、 
私のお腹の中にはシュレディンガーの猫がいるのだ。 
  
制約も、打算もある。私の職場では、制度はあっても替えの利かない仕事も多いため、 
1年未満で復職せざるを得なくなる。 
どうにか最大限休もうとすると、かなりタイミングには気を使わなければならない。 
年度初めとか年度末とか絶対ダメ。絶対無理。おちおち産休になど入れない。 
けれど、すぐに戻りたいわけではない。どんな理由であれ、 
(育児の方が結果的に大変であれ)仕事は最大限休みたい。合法的に休みたい。 
  
「愛し合ったふたりの子どもが欲しい」だなんてポエムではなく、 
私には利己的な打算しかない。 
そんな不純な動機で子どもなどできるのだろうか。 
できなきゃ、それはそれで因果応報なのかもしれない。 

不完全なひとりの人間として。

https://anond.hatelabo.jp/20140402111648

 

そう。

私は、物理的に実家と離れたことでかなり精神的に安定しました。

そうすることで、母の方も私のことを「自分の管理下にいる者」という認識を外したのか、表面的には優しく振る舞ってくれるようになり、

かなり関係は改善し普通の母娘のようになっています。

うっかりすると、実家を美化しまって懐かしくなってしまいそうになるのだけど、

いやいや、もうあんな家には戻りたくなんかないと、初心に戻る(笑)のです。

 

今になれば、母について、理解はできます。

きっとあのとき母も辛かったのだろうとか、我慢してきたのだろうとか。

けれど、私は彼女を許さないと決めたのです。

そうでないと、あの頃あんなに傷ついた、あの頃の私がかわいそうだ。

母に、反抗して反抗して、私はやっとサバイブしてきたのだ。

理解はしても許しはしない。

そうでなければ、私はアイデンティティが揺らいでしまう。

 

結局これが正しいのか分かるのは、母が死んだ後なのだろうと思います。

母がいなくなった私の世界が、自由であることを心から願います。

好きなことを

ネットの海で、時々この言葉に再会する。

いつも、勇気をもらうようで、でもそうできない自分が悲しく感じます。

 

~~~~~

 

これはあなたの人生です。

自分が好きなことをやりなさい。

 

そして、たくさんやりなさい。

 

何か気に入らないことがあれば、それを変えなさい。

 

今の仕事が気に入らなければ、やめなさい。

 

時間が足りないのなら、テレビを見るのをやめなさい。

 

人生をかけて愛する人を探しているのなら、それもやめなさい。

 

その人は、あなたが自分の好きなことを始めたときにあらわれます。

 

考えすぎるのをやめなさい。人生はシンプルです。

 

すべての感情は美しい。食事を、ひと口ひと口を味わいなさい。

 

新しい事や人々との出会いに、心を、腕を、そしてハートを開きなさい。

 

私たちは、それぞれの違いで結びついているのです。

 

自分のまわりの人々に、何に情熱を傾けているかを聞きなさい。

 

そして、その人たちにあなた自身の夢も語りなさい。

 

たくさん旅をしなさい。

 

道に迷うことで、新しい自分を発見するでしょう。

 

ときにチャンスは一度だけしか訪れません。しっかりつかみなさい。

 

人生とは、あなたが出会う人々であり、その人たちとあなたが作り出すもの。

 

だから、待っていないで何か作ることをはじめなさい。

 

人生は短い。

 

情熱を身にまとい、自分の夢を生きよう。

あけまして

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おめでとうございます。

生きています。

仕事も、一応しています。

ポカばかりですが。

 

今年の目標は、無理をしないことです…

 

間が開いてしまいましたが、リハビリがてら少しずつ文章を書いていこうと思います。