午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

自分の価値を、際限なく過小評価しかできない

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この間まで夏前の、季節の代わり目恒例メンタル脆弱期間だった気がするのだが、もう寒くなり始めてしまい…本当に…辛い…

絶え間なく精神的に不調…!

先週は仕事でうまくいかないことも重なり、表面張力ギリギリアウト(笑)のラインで働いていて、

見かねた同僚が終業後ガス抜きに連れ出してくれる始末…

 

人に優しくされることに未だに慣れない自分が本当に嫌になります。

ありがたいと思う気持ちに、もれなく後ろめたさがついてきてしまうのだから。

素直に感謝を感じられる人に…なりたいんだけどこのままなれない気がする…

 

「人様に迷惑をかけてはならない」という母の教え(というか、母の行動原理を押し付けられただけなんだろう)が、私の深層まで染み付いてしまって呪いと化している。

でもその呪いに従って生きることは、私に手を差しのべてくれる人に対しても失礼な話だ。

人に助けられて初めて、私もまた他人に優しくできるのだから。

 

この呪いは、いつまで私を縛るのだろうか。

だってそれってつまり、私は「自分は優しくされる価値がない」って思っているってことでしょう?

苦手なこと(2)

私は、人に触れられることが苦手だ。

整骨院でのマッサージや、病院の採血などには抵抗はない。

それでも、話す際に近くに立たれたり、不意に触れられることは、身の毛がよだつほど嫌いである。

親や兄弟でも、あまり得意ではない。

思えば、親に抱きしめてもらったり撫ででもらったりした記憶はあまりない。

むしろ身体的接触と言うのなら、頭を張られた回数の方が多いに違いない。

 

それでも、親しい人と近くにいることは心地よい。

できれば、車の運転席と助手席くらいの距離がいい(笑)

時々びっくりするくらい至近距離に詰めてくるのは件の先生で、それはまぁ、ひそひそ話をすることも多かったから。

別にボディタッチがあるわけでももちろんセクハラでもなく、ただただ距離が近いことがある。警戒心ないのかしら、と思うほど。

学外での仕事の帰り道などで、とりとめもない話をしながら、ほとんど腕が触れるほどの距離で歩いているとなんだか面映ゆい気持ちになったことを覚えている。

反射的に距離を開けてしまいたくなるのだが、でも、こんなにプライベートゾーンなく私と接してくれることに照れくさい喜びを感じてしまうのだ。

いや、先生は子育て中だからゼロ距離に慣れててそうなってしまうだけなのかもしれないけど…

他の人にもそうなのかもしれないけど…

でも、他人と距離をあけたくなる私にとって、慣れないけれど、ちっとも慣れないけれど側にいたいなと思う貴重な相手が彼なのだった。

 

ちなみに、主人に対しては接触に慣れたので、近くにいても触れてても不快だとは思わなくなった。

暇だとおんぶしてもらったりしてます。主人はそのままスクワットとかしてる。私は重石かいな。

自己開示

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何度も泣いて、泣いて、カッコ悪いところをたくさん見せて

 

たくさん話して、たくさん側にいた

 

彼の右手の大きな傷ができたカッコ悪い理由も

 

普段強気な私が泣き虫なことも

 

私は知っている 私たちは知っている

 

彼の目の悪さも 私の体の弱さも

 

私は知っている 私たちは知っている

 

あなたがくれた物語を

 

私は今も心に仕舞っています

休んだ分憂鬱

あーもう、憂鬱なせいでなにもできない。

世界が滅べばいいんじゃない?

 

違う。

きちんと分析しなければ。

先週私が下手を打ったことにより、明らかに周りの目が厳しくなる。

それをどうにか切り抜けなければならない。

ただ、何をやれば周りが納得するのかがわからない。

ただ、針の筵になるのを待つのはイヤだ。

ただし何か根本的な視点が抜け落ちている気もする。

私は何のために仕事をしているんだ…?

 

…やっぱりミサイルとか飛んでくればいいのかな?

生きているだけで疲れるし。

失敗は、本当はそれほどつらいことではありません。

失敗を誰かに見られた時に、他人がどう思うかということを考えると、辛いのです。

他人にどう思われてもいいと、開き直ることができたら、

失敗なんて、本当はそれほど、大したことではないのです。

 

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開き直れたら苦労しないよ!!

というか、他人が勝手に失敗だと断定するから困るんだ。

 

繰り返していることは分かっている。

教育は天職だが、組織に所属するということが、根本的に向いていないのだ。

いや、天職かどうかも分かったものじゃない。

もしかしたら、もっと向く仕事もあるだろう。

ええと…例えば…曲げわっぱ作る職人とか…あと、花火職人とか…(物を作るのが好き)

 

それでも私は若者に寄り添うこと、その成長を見守ることに喜びを感じるし、

こういう仕事をしていればいつか、私は私の先生に恩が返せる気がするのだ。

私は思春期に大いに悩み、生きる意味も見つからず、欠乏感を抱えて生きてきた。

それでも私は救われた。

だから次は、救いの手を差しのべられる人になりたい。

 

とはいえ、そんな自己満足だけで仕事なんかになるわけはなくて。

やりたくないことも、やる意味わからないこともやらなければならないし、

やりたいことを諦めることもある。

同調圧力にも弱いし、人からの批判にもすぐに心折れる。

そういうことにいちいち心乱されなくなりたいものだけど、

そうなったらきっと、私の瑞々しい初志も忘れられたときなんじゃないかと思う。

 

だから、エネルギー削られながらも、私は諦めるわけにはいかないのだ。