虚しさ
自分の孤独と、それでも生まれてきた意味を探して、心理学を学んだり、精神分析について調べてみたり、哲学書を読んだりしてはみた。
書いてあることにより、色んなことが府に落ちはした。
例えば、私と母の確執とか。実家が機能不全家庭であったこととか。妹が心を病むに当たっての過程とか。
それでも、そこに救いはなかった。
私に必要だったのは、何もかもを含めて、自分を赦し、祝福を受けることだったのだろう。
いくら理論が身に付いても、私の生きづらさは解消しなかった。
私の10代後半から20代の初めまではずっとそんな調子であった。
今の虚しさは、ただただ働き、家と職場を往復し、金を稼ぎ、生活し、ただその事に疲れ果てていくことへの虚しさだ。
まるで、自分の魂が削れていくような、そんな辛さがある。
こんなことを繰り返して、気がついたら年を取っているのだろうか。
(ちなみに、しばらく主婦をしてみたこともあるけれど半年もしないうちに、社会との接点が無さすぎることに耐えられなくなったので仕事を辞めれば解決するということではない)
やっと、アイデンティティが確立して、自分の幸せを自分で認められるようになったのに、
それなのに待っているのはこんなに疲れ果てていくだけの日々なのか。
彼のお陰で私は生まれ変わったように自由になったのに、私が選んだのは、こんな日々なのか。
それが辛くて悲しくて虚しくて、
ああ。だから私はこの日々が終わることを願っているのか。
子どもの頃の夢
私は、小説家になりたかった。
漫画も描きたかった。
そして、多分すごく頑張れば、私の作品は多少は日の目を見ることもあったと思う。
小学生の時には、夏休みの課題で新聞社の賞をもらったり、
高校時代ひょいと応募したものが、1次選考を通ることもよくあったから。
ごくシンプルな短編で、地元で小さな賞をもらったこともある。
それでも、いつしか私は書かなくなった。
それは、私の不安定な自我がアイデンティティとして一応の決着を見た頃と重なるのだ。
小説より希な人生を歩んで、他人に愛着を持てるようになって、大切な友だちができて、
そうしたら、私の中に溢れていた物語の欠片たちはいつの間にか見つからなくなってしまった。
物語の中に自分の望みや願望を投影する必要がなくなったのかもしれない。
いまはすっかり、仕事に疲れはてて執筆をする元気もないというのが本音ですが…
それでも、こうやってブログを書くことがリハビリになるとよいけれど。
やっぱり、私にとって文章を綴ることは、生きていくことと同義である。
希死
死ぬことは、希望だ。
この苦しみも、生きる煩わしさも全てが終わるのだ。
それは解放である。
積極的に自分で死のうという気はないけれども、
いつか迎えるであろう死は、私の希望だ。
惜しまれることもなく、ただ、消えていきたい。
私の神様(4)
大人は信用できないと思っていた。
きっと、親との愛着の獲得につまずいたせいで、人を心から信用することができなかったのだと思う。
一方で、私は人を嫌いになることはできなかった。
人になにかをしてあげることも好きだったし、目立つことも好きだったので、結局委員長やらなにやらやっていた。
アイデンティティの根底のところは安定していなかったが、周りと人間関係を築ける程度には器用に立ち回ることはできた。
だからこそ、私は優等生かのように育ってきてしまっていたが、情緒はちっとも安定してはいなかった。
大学に入り、件の先生と出会い、ゼミの雑用をなにかと引き受けるようになり、なんとなく一緒にいる時間が多くなった。
この先生というのが、研究はできるかもしれないしアイディアもあるのだが、妙に生活能力に欠けた人で、研究室はすぐ荒れていく、ご飯を買いに行くのが面倒だからお菓子で済ます、仕事の締め切りは忘れる、突然ダイエットに目覚める等、自由人だったため、スケジュール管理から締め切りの追い立て、買い出しや大学事務室へのお使いなど、私がやることはたくさんあったのだ。
しかし今思えばなぜ、大きな顔をして研究室に居座り、大人と対等かのように偉そうなことばかり言っていた私を、なぜ先生は受け入れてくれたのだろうか。
先生は私を一人の人間として扱ってくれた。
でも、やっぱり私はただの学生で、社会的責任を問われることもなく、守られた身分にあった。
大学と、研究室は私の家庭のようだった。
私にとって先生は親のような存在で、ワガママを言ったり、困ったら頼ったり、それでも私を見捨てないでいてくれるだろう、という確信を持てる初めての大人だったのだ。
幼児のように、私の世界はその関係だけで満ち足りていた。
自罰思考
自分に対する過度な要求。
完璧主義。
そして大体自分を責めることになる。
『もっとこうあるべきだ』『それができない自分は全然頑張っていない』『手を抜いている』『あの人に比べて自分は劣っている』
なんでそんなこと自分で自分に言わなければならないのかって?
それは私が私だから仕方ないんですよね。
理論としては分かっている。その、高い要求を私に突きつけているのは私ではなく私のなかにいる『母親』なのだ。
母の望むような方向に向いているときは良いのだが、母が望まない方向に私が向かおうとすると、途端に存在を全否定するレベルに全否定されるんだから、恨んだり憎んだりするわけだよね。
一緒に暮らさなくなってもう6年ばかしなるので、以前のように凄く嫌いというわけではないが、
けれど、私は母を許さないでおこうと思う。
彼女もまた一人の不完全な人間なのだと、理解はする。
理解はするけど許しはしない。
でなければ、母に全否定されながら自分の道を突き進んできたあのときの自分がかわいそうすぎる。
母娘の和解は難しい。
タイトルなし
ほんの少しの失敗、例えば、人の会話に入っていくタイミングを間違えたとか、言葉のチョイスを誤ったとか、
そういうことをきっかけにわりと死にたくなる。
死なないけど。死ぬ必要もないけど。
それでも死にたいとしか言い様のない私は、いったいどうしたらいいんだろう。
心にこびりつく羞恥に耐えられない、豆腐以下のメンタルなんです。
ことこと
料理が好きだ。
ストレス発散として。
疲れているのに煮込み料理が作りたくなる。
ひとり暮らしを始めてからだ。
実家を出て、家事を自分でやるようになって。
実家で居心地悪く暮らしていたときと比べて、やらなければならないことは格段に増えているはずなのに、
気持ちがとても自由になって感動した。
それまで自分は24時間をなんて無意味に消費していたのだろう、とすら思うほど。
ことことと、ゆっくり生きていけたら楽だろうか。
心安らかに、ことことと。