午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

『私』とは

時々里心がつくと、『帰りたいなぁ』と泣きそうになる。

きっと、故郷は離れてしまったからこそよく見えるだけなのに。

 

私はいまだになんだか、自分を持て余しながら寄る辺なく生きていて、

どうにかもっと楽に生きれないものなのだろうかと思いながら、すり減ったり憤ったり諦めたりしている。

自分が何者であるかという答えは、まだ全然出ない。

何度自問自答しても、自分の女性性が認められないし、この年になってもアイデンティティジェンダーも拡散しているなんてホントに笑えない。

自分が生物学的に女性であることは、分かってる。

恋愛対象が、今のところ男性だけであることも自覚している。

けれど、自分が女性であるということが納得できないのはどうしたものか。

少なくとも、社会的な女性としての役割や振る舞いなんてクソ食らえである。

やりたきゃやるし、やりたくなきゃやらない。

それでも自分、十分に自分が女性であることを利用して生きてきているわけで。

必要があればか弱いオンナのフリもする。オンナを使って働くことも厭わない。

それでも自分のアイデンティティやプライドは、性別とは離れたところにあって、自分で道具として使う分にはいいんだけど、女性として私を見ないでほしいという葛藤がある。

つまりは、母親に対する嫌悪感と、そこから受け継がれている「女性」の否定だと思うんだけどね。

我ながら難儀だなとも思うんだけどね。

降り止まない雨のように、私にしみ込んでしまって、どうしようもない感覚なのだ。