『私』とは
時々里心がつくと、『帰りたいなぁ』と泣きそうになる。
きっと、故郷は離れてしまったからこそよく見えるだけなのに。
私はいまだになんだか、自分を持て余しながら寄る辺なく生きていて、
どうにかもっと楽に生きれないものなのだろうかと思いながら、すり減ったり憤ったり諦めたりしている。
自分が何者であるかという答えは、まだ全然出ない。
何度自問自答しても、自分の女性性が認められないし、この年になってもアイデンティティもジェンダーも拡散しているなんてホントに笑えない。
自分が生物学的に女性であることは、分かってる。
恋愛対象が、今のところ男性だけであることも自覚している。
けれど、自分が女性であるということが納得できないのはどうしたものか。
少なくとも、社会的な女性としての役割や振る舞いなんてクソ食らえである。
やりたきゃやるし、やりたくなきゃやらない。
それでも自分、十分に自分が女性であることを利用して生きてきているわけで。
必要があればか弱いオンナのフリもする。オンナを使って働くことも厭わない。
それでも自分のアイデンティティやプライドは、性別とは離れたところにあって、自分で道具として使う分にはいいんだけど、女性として私を見ないでほしいという葛藤がある。
つまりは、母親に対する嫌悪感と、そこから受け継がれている「女性」の否定だと思うんだけどね。
我ながら難儀だなとも思うんだけどね。
降り止まない雨のように、私にしみ込んでしまって、どうしようもない感覚なのだ。