普通になりたい、と私は泣いた
子どもの頃は、二十歳になれば大人なのだと思っていた。
大学生の頃は、卒業すれば大人だと思っていた。
大学院生時代は、就職すれば大人だと思っていた。
…さて、三十路にさしかかってなお、私はちっとも大人になった気はしないので、もうきっとこのまま40にも50にもなるのだろう。
子どもの頃からすれば、ずいぶん思慮深くなった。
大学の頃からすれば、状況に合わせて動けるようになった。
大学院生時代からすれば、自立した。
大人になった気はさらさらしないが、今の自分の方がまぁマシだと思えるだけでも十分だと思う。
病んだまま世間に対して斜めに構えていた頃に比べれば、丸くなった。
私はずっと、普通になりたいという欲と、普通でありたくないという願望の間でバランスを取れずにもがいていた。
唯一無二の自分でありたいという願いと、他の子と違うことの不安は、どうにも両方解決する案件ではなかったからだ。
心配しなくていいと、お前はそのままでいいよと、全然納得しない私に対して言い続けてくれた先生のおかげで、私はやっと私であることに怖さを感じなくなった。
いまだって自分を持て余している。
けれど、先生がそのままでいいと言ってくれるなら、まぁいいかと思えるのだ。
あと、主人も私のことをそのまま受け入れて、ちょっと変わっていることはあまり気にしていないし。
年齢的にはいい大人になっているはずだけれど、私は私を大事に思ってくれる人のおかげで、なんとか生きています。