午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

届かぬ願い

わかるよ悲しみが人との距離を広げる

時間がもしも味方なら早く過ぎてほしいのに

 

あのでっかい肩にしがみついて

一番泣きたいときにいないから

 

ねぇ

どのポケットも思い出でいっぱいのその服を今日は脱いでみようよ

もしかして思うより案外平気なことに気づくかもしれない

 

大丈夫

最悪の時はもう過ぎているから

 

私も本当はまだよくわからないけど きっと

 

傷ついていいの

それほどに思える人と

そんなたったひとりと出会えた

私だから

 

どのポケットも思い出でいっぱいのその服にあえて手を通そうよ

どのポケットもあなたの愛が一緒に詰まってたことに気づきなさい

どのポケットも思い出でいっぱいのその服をもう脱いでみようよ

どの思い出もあなたの愛と一緒だから大丈夫

いかせてあげなさい

 

必ず心から笑える日はやってくるから

 

----------

 

どうしようもないと泣いてしまって、

でもそれが私にとっては必要なプロセスだった。

涙を流さなければ、いっぱいになってしまった感情のコップを軽くはできなかったから。

不安定な心を自分ではどうにもできずに、その混沌を聞いて落ち着けてくれるのは彼だった。

自分でできない仕事を、私は彼にやってもらうことでギリギリ生きていた。

不安定な私に共鳴せずに、それでもすぐ側にいてくれることが、救いだった。

 

いまでも、私の感情のコップは突然溢れそうになって、本当に困る。

表面張力でなんとか持ちこたえながらも、それでも根本的な解決はできないまま、ごまかしごまかしやるしかなかったりする。

ツラくなる。

叫び出したいほど、彼に会いたくなる。

「せんせい」

と呟くと、胸が軋む。

 

それでも、ずっと分かっているのだ。

ずっと一緒に生きていくわけではないということ。

どんなに望んでも、そのルートはないということ。

彼と一緒にいたときから、知っていたのだ。

私は、巣立っていかなければ、いや、もう巣からは飛び立ってしまったのだということ。

それでも私は願ってしまう。

「せんせ、悲しくて仕方ないんだけど、どうしたらいい?」と問えば、

またあなたが「今度はどうした?」って優しく困ったように聴いてくれることを。

 

もうきっと二度と来ないのに。

五里霧中

仕事があまりうまくいかず、

(というか、私のやり方をなんとなく周囲に否定されて)

心が疲れ中…

 

明らかに自分にストレスがかかる方法を、なぜ推奨されなくてはいけないのか。

確かにそうするのが道理なのかもしれないけれど、明らかな効果が上がるとも思えず、

私自身にかなり強いプレッシャーとストレスがかかるに違いない方法を。

周りの同僚が納得するかどうかという理由だけでチョイスする妥当性が果たしてあるのだろうか。

愛着と信頼(1)

誰かと深く繋がりたいのに、

なにかがそれにブレーキをかけるのはいつものことで。

 

心当たりがあるとすれば母との確執だ。

 

自分に記憶がないので完全な伝聞なのであるが、

母は私が1歳になるかならないかの時分、

離婚するつもりで私を連れて実家に帰ったのだという。

すると、赤ん坊の私が突然母を拒絶し、離乳食も一切母の手から食べなくなり、

仕方なく祖父が食べさせていたのだという。

 

母親だけでなく父親との愛着を獲得する時期に、言うなればその父を、母によって取り上げられたわけで、

基本的信頼や愛着になんらか支障が出るに決まってるよね…という感想です。

大人になった私としては。

 

その後、なんとか母は父の元に戻るのではあるが、

まぁ基本的に喧嘩しかしない両親のまま、私は育てられた。

 

家族の温かさとはなんですか?

児童相談所が出てくるほどの虐待を受けたわけではないにしろ、

私の家庭は、外面だけはよくて内側は家庭としての機能を保てていないハリボテだった。

世の中の家庭は毎日罵声を浴びせられたりしないということを知ったときの衝撃ったらなかったです…

それが普通だと思い込んでいたので。

 

親とすら、築くべき時期に信頼関係を気づけなかったからか、

他者と関係を築くのにとんでもなく勇気とエネルギーが必要になります。

それでも、人間を嫌いにはならなかったのは、生来の性格なのでしょうかね。

タイトルなし

なんだか、建設的なことが書けなくて、ただただ、過去を振り返ったりしている。

もう戻れない、日々に。

忠誠と思慕に満ちた日々に。

 

家族

実家に住んでいた頃のことが、ほとんど記憶にない。

いくら、防衛規制として片っ端から忘れていく傾向があるにしても、

365日、22年住んでいた家の記憶が曖昧というのは我ながらどうかと思う。

それでも、母と喧嘩をし続けていたこと、母に対して一回死ねばいいと思っていたことだけは、事実として記憶しているわけで、

つまり、私にとって家族との楽しい思い出の代わりに残ったのは、その記憶なのだろう。

 

いまは、自分が選んだ人と家族になり、

…と言っても、二人でひとり暮らしをしているというか、ルームシェアしてるくらいの気軽さで夫と楽しく暮らしているのだけれども、

まだ子どもを持つ覚悟ができないでいる。

タイトルなし

気まぐれに私の夢に現れた彼は、

他の子にだけ話しかけ、

そしていなくなってしまった。

『待って』

と呼び止めようとして目が覚めて、

私は絶望すら感じる。

宇多田ヒカルと、機能不全家庭で育った子ども

紫の信号が点灯(ひか)って思考停止
不安だけが止まらない

私は弱い だけどそれは別に
恥ずかしいことじゃない

実際 誰しも深い闇を抱えてりゃいい
時に病んで、もがいて、叫んで叫んで
痛みの元を辿って Show me love
元を辿って Baby show me love
It's all in my head Can you show me love
It's all in my head Not a dream

築き上げたセオリー忘れよう
山は登ったら降りるものよ

実際 どんなに深い愛も 完璧じゃない
自分でしか自分にしてあげられない
自分を認める courag Show me love
認める courage Baby show me love

実際 夢ばかり見ていたと気付いた時
初めて自力で一歩踏み出す
私の内なるパッセージ
内なるパッセージ
It's all in my head
It's all in my head

 

ーーーーーーーーーー

 

ネガティブな方に気持ちが向いていると、宇多田ヒカルを聴きたくなる。

 私が彼女に感じるシンパシーは、きっと事情は違えど機能不全家庭で育ったからに違いないと思っている。

彼女は、その枷から自由になれたのだろうか。

母と和解することができたのだろうか。

私は、彼女と出会った17年前からずっと、彼女の幸せを願っている。