結果的には最善手
2013年の自分の文章。
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ずっと『私はどうして愛してもらえないの』という想いを根幹に抱えながら、けれど今さらオヤに愛してもらおうとは別に思わなくて、彼氏のような人やその時々の彼氏に依存しながら大騒ぎしながら生きていて、
それはそれできっと当時の私は一生懸命生きていたんだと思うんだけど、
でも今の私から見れば、なんて狭い世界で大騒ぎしてたんだろうと思う。
それから色んな事があって、楽しいこともイヤなことも大変なこともめんどくさいこともいっぱいあって、でも、先生に会えた。
「お前は、適切に愛を受け取れてなかったんじゃない?」
その一言で、私は愛されてなかったんじゃなくて、自分から拒絶していたんだってことに気がついて、そうしてやっと、自由になった。
そうして、ずっと私の傍に大事な人がいてくれたことに気がついた。
もうとっくに、愛されていた。
そのあとすぐに、いまの彼に出会う。
それまでなら絶対仲良くならないタイプの人。
それは多分、それまでの彼氏のように私と本質的に傷の舐め合いができるような、“欠け”を持った人間じゃなかったから。
けれど、『こんな人と一緒になれば、私でも普通に幸せになれるのだろうか』と思った。
以前私は、愛するから愛されるんだと思っていて、
許すから許されるんだと思っていて、
愛する人がいれば自分の欠けが満たされると思っていた。
でもどうやら、違ったらしい。
愛されたからこそ愛することができて、
許されるから許そうって思えて、
愛する人がいれば、ふたりで2倍も3倍も頑張れる気がする。
ひとりでいられないから、誰かと一緒にいたいと思っていた。
今ならきっとひとりでも生きていけるけど、一緒になったらもっと広がれる。
結婚しようかなぁと思うのは、だからです。
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過去文章ここまで。
もうすっかり過去になってしまったから、ありありと思い出すことまではできないんだけど、
「適切に愛を受け取れてなかったんじゃない?」
という、先生の一言は、本当に私の目の前の景色を一変させる出来事だった。
色々あるけど、今私が立っているところは、あのときからしたら間違いなく最善手だと思う。