午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

答えがでない

我ながらどうなのかと思うけれど、ずーーーーっと子どもを産むことを躊躇している。もう年単位で躊躇している。

でも分かっているのだ。もうそれこそ文字通りに、案ずるより産むがやすしなのだと。

しかし、検査をするにつれ事情があまり芳しくないことも分かってきて、どうやら自然妊娠を待っていると、子どもを授かるのはいつになるんだか分からない。

そろそろ次のステージを考えないといけないところまで来ている。

それでも自分は、自分の子どもという恐ろしい存在を、今後20年以上死なないように育てていかないといけないという責任を果たす自信が持てないでいる。

いっそ、里子か養子縁組を考えたらどうだ、と思ってみると、案外それならいいかなと思ってしまうあたり、私の恐怖はやはり血なのだ。

私の。母の血を受け継ぐというのは、自分を苦しめる血族の再生産になりはしないか。被害者で、加害者にならない保証などない。

他の誰かや、社会からお預かりした子どもを育てるというのであれば、私は頑張るよ。自分の子としてきっと大切に愛情を注ぐよ。この倒錯。なんなんだろうか。

 

・本当は望んではいないのに、「子どもを持たねばならない」と思ってプレッシャーになっているのか。

・深層心理では子どもを持つことを望んでいるからこそ、悩んでいるのか。

 

いっそ子どもができればこのモヤモヤはなくなるのか、それとも潔く実子をあきらめた方が、気が楽になるのか。

分からない。

それなのに不妊治療に進む?

我ながら訳が分からない。