私の神様(4)
大人は信用できないと思っていた。
きっと、親との愛着の獲得につまずいたせいで、人を心から信用することができなかったのだと思う。
一方で、私は人を嫌いになることはできなかった。
人になにかをしてあげることも好きだったし、目立つことも好きだったので、結局委員長やらなにやらやっていた。
アイデンティティの根底のところは安定していなかったが、周りと人間関係を築ける程度には器用に立ち回ることはできた。
だからこそ、私は優等生かのように育ってきてしまっていたが、情緒はちっとも安定してはいなかった。
大学に入り、件の先生と出会い、ゼミの雑用をなにかと引き受けるようになり、なんとなく一緒にいる時間が多くなった。
この先生というのが、研究はできるかもしれないしアイディアもあるのだが、妙に生活能力に欠けた人で、研究室はすぐ荒れていく、ご飯を買いに行くのが面倒だからお菓子で済ます、仕事の締め切りは忘れる、突然ダイエットに目覚める等、自由人だったため、スケジュール管理から締め切りの追い立て、買い出しや大学事務室へのお使いなど、私がやることはたくさんあったのだ。
しかし今思えばなぜ、大きな顔をして研究室に居座り、大人と対等かのように偉そうなことばかり言っていた私を、なぜ先生は受け入れてくれたのだろうか。
先生は私を一人の人間として扱ってくれた。
でも、やっぱり私はただの学生で、社会的責任を問われることもなく、守られた身分にあった。
大学と、研究室は私の家庭のようだった。
私にとって先生は親のような存在で、ワガママを言ったり、困ったら頼ったり、それでも私を見捨てないでいてくれるだろう、という確信を持てる初めての大人だったのだ。
幼児のように、私の世界はその関係だけで満ち足りていた。