選ばなかった方の未来
『あなたは、子どもを産んで後悔していますか』とアンケートを取ったら、どれくらいの人がYesと答えるだろう。
対面だと誰も言えないだろうが、無記名質問用紙なら、0.1%くらいは、いるかもしれない。
そして、そのYesと答えた親は、虐待するようなひどい親なのかというと、必ずしもそうじゃないんだろうな、と思うのです。
ただただ、想定される「子どもがいなかったらあり得た生活」と比べてしまい、どうしても後悔したくなる瞬間は、多かれ少なかれあるんじゃないかと思う。
そして例え後悔の気持ちがあっても、一生懸命子どもに愛情注いで育てる人だっているはずだ。
別に、そのふたつは相反することではないと思う。
“子どもを持つということは何かを諦めることなのではないか”と思うと、
つまり、私の今の生活はそれこそ、子どもを持つと「選ばなかった方の未来」になるわけで。
今の自分の生活にそれなりに満足しているからこそ、変化が怖くもあります。
思いつきメモ
腹を立てたり、怒りのエネルギーで何かしらの行動を起こす人もまた、そうしないといけないわけで、翻って生きるエネルギーに乏しいのかもしれない。
思い返せば、何をするにつけても母はいつも怒っていた気がする。
お前たちがやらないから、私がこれをしなければいけない。
お父さんがこれをやらないから、私がやらなければいけない。
この家は誰も手伝ってくれないから、私が一人でやらなきゃいけない。
…そういうこと言われてやる気になんかなるはずないだろばーか。と、
思春期の私はそれに反発していたわけだが、今思うと、母はそうしないと動けなかったのかもしれない。
そういう怒りのエネルギーがないと、私の母という人は頑張れなかったのではないだろうか。
自分の親から愛されなかった子どもであるところの母は、一方長男であるからと大事にされた(ように彼女には見えていた)弟への恨みのエネルギーでやってきたのだろう。
そう思うと、私がエネルギー足りない人なのも納得。
早くも後悔の人工授精
○ゆる不妊治療記録。
1回目のAIH(人工授精)を受けてきました。
先日の卵管造影が痛いということは事前に覚悟していましたが、
人 工 授 精 も 十 分 痛 い じ ゃ な い か 。
まず、クスコ(多分)でこじ開けられるのが痛い。そしてそのまま固定されるし。
位置の調整で中でぐりっとされると、それなりに不快で痛い。
作業が終わったら、処置台で両脚全開のまま、時間がたつのを待つ。
羞恥心よりも、身体が固い私にとっては、開脚が辛い(笑)
天井の無影灯(だと思う。手術室みたいなやつじゃなくて、天井に複数嵌め込まれてるんだけど、むしろそれが角度的に全部こっちを向いているのでスポットライトみたいでむしろ嫌だ(笑))をぼんやり見ながら、
『私はこんなことまでして、実子が欲しいか…?いや、全然いらない…』
と考えてしまいました。
確かに、今日休みだった主人もついてきてくれていましたが、こうやって処置を受けるのは自分だけ。
さぁ終わったと思ったら、
「人工授精の時には、排卵を合わせるための注射を打ちます」
と、言われ、
ん?そんなのがあるのかと思ったら、
筋肉注射。
まさかの筋肉注射。
なんの心の準備もなく筋肉注射。
その後、平然と会計までしてクリニックを出ましたが、
車に乗ってから号泣。
注射自体に苦手意識はないのですが、とにかく筋肉注射はダメ…しかも今日のはとにかく痛かった。
こんな目にあってまで私は実子はいらない。
もうやりたくない。
主人は困った様子でしたが、私は割と本気…
二人の子どもができないなら、養子縁組や里親で家族を増やせばいい。
なんでこんな目に合わなきゃいけないんだ。
早くも、不妊治療ギブアップしたくなっています、
恐怖の卵管造影検査
ゆる不妊治療記録
〇恐怖の卵管造影検査
人の話やらネットやらで、痛いということを聞いてしまい、段々怖くなってしまっていたのだが、
とりあえず観念して受けてきた。卵管造影。
確かに痛かったし、もうやりたくはないのだけど、
1年に一回くらい来る死にそうな生理痛に比べたら体感で半分くらいだったのでまぁこんなものかと。
というかむしろ、私の生理痛って相当ヤバいのではないかと心配になる。
まず、イソジン消毒をされた後、器具(管か何か?)を入れられ、ここまでは圧迫感や異物感で済むのだけど、
造影剤?バルーン?を入れられた瞬間、お腹の中がドンと鉛を入れられたような鈍痛。生理痛の酷いヤツと同じ鈍痛。それが徐々にじゃなくてドンとくるから割と我慢できないレベルで痛い。
しかもそのあとレントゲン室まで自力で歩かされるわ、丸イス踏み台にして腰の高さより高いレントゲン台に上がれと言われるわ、そっちの方が大変だった。
決して設備の新しい病院ではないからかもしれないけど、もうちょっと何とかしていただきたかった…
その後、下腹部の不快な重さを抱えたまま20分ほどベットで休まされ、特に異常はなかった旨説明を受けて帰宅。
造影剤は、生理の時と同じように排出されますからねとのこと。
正直なところ、原因が男性不妊だということが分かって以降、気持ちは楽だった。
だからこそ、「主人のために私が不妊治療に付き合ってあげる」ぐらいの気分でいたのだが、
結局痛いことするのは私かよ。というのが偽らざる感想です。
男性は、毎日服薬することと、必要な時に精子を提出することだけがノルマ。
なんだか不公平じゃないか?
私はここまでして実子を持ちたいと思っているの?
と、最終的にやっぱりもやもやしてしまうのでした。
女の人生
https://telling.asahi.com/article/11824399
私の周りにも、「お金の心配をしなくてもいいのなら、また子どもを産みたい」という人がいてビビる。
産みたい人が産みたいだけ産めるなら、案外少子化なんかしないんじゃないかと思ってしまう。
そしたら、もう私みたいな迷いのある人は安心して産まない道を選択するからさ。
結果的には最善手
2013年の自分の文章。
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ずっと『私はどうして愛してもらえないの』という想いを根幹に抱えながら、けれど今さらオヤに愛してもらおうとは別に思わなくて、彼氏のような人やその時々の彼氏に依存しながら大騒ぎしながら生きていて、
それはそれできっと当時の私は一生懸命生きていたんだと思うんだけど、
でも今の私から見れば、なんて狭い世界で大騒ぎしてたんだろうと思う。
それから色んな事があって、楽しいこともイヤなことも大変なこともめんどくさいこともいっぱいあって、でも、先生に会えた。
「お前は、適切に愛を受け取れてなかったんじゃない?」
その一言で、私は愛されてなかったんじゃなくて、自分から拒絶していたんだってことに気がついて、そうしてやっと、自由になった。
そうして、ずっと私の傍に大事な人がいてくれたことに気がついた。
もうとっくに、愛されていた。
そのあとすぐに、いまの彼に出会う。
それまでなら絶対仲良くならないタイプの人。
それは多分、それまでの彼氏のように私と本質的に傷の舐め合いができるような、“欠け”を持った人間じゃなかったから。
けれど、『こんな人と一緒になれば、私でも普通に幸せになれるのだろうか』と思った。
以前私は、愛するから愛されるんだと思っていて、
許すから許されるんだと思っていて、
愛する人がいれば自分の欠けが満たされると思っていた。
でもどうやら、違ったらしい。
愛されたからこそ愛することができて、
許されるから許そうって思えて、
愛する人がいれば、ふたりで2倍も3倍も頑張れる気がする。
ひとりでいられないから、誰かと一緒にいたいと思っていた。
今ならきっとひとりでも生きていけるけど、一緒になったらもっと広がれる。
結婚しようかなぁと思うのは、だからです。
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過去文章ここまで。
もうすっかり過去になってしまったから、ありありと思い出すことまではできないんだけど、
「適切に愛を受け取れてなかったんじゃない?」
という、先生の一言は、本当に私の目の前の景色を一変させる出来事だった。
色々あるけど、今私が立っているところは、あのときからしたら間違いなく最善手だと思う。
呻
ヤバい…昨日の夜まで平気だったのに激しく死にたみ…
分かっている…
季節の変わり目はダメなんだ…経験則で分かっているはずなのに、なんか大丈夫かなって思ってしまうのよ…
ぐぬ…ぐぬ…