なみだのあと
いまよりもっと、自分の人生に納得がいっていなかった頃。
私はもっと、自分の不安定さを一人で抱えることができなくて、私はよく泣いていた。
恐らく、涙として排出しなければ私の心と体は耐えられなかったのだと思う。
(仕事を始めてしまえば、あの頃はなんて些細な事でいっぱいいっぱいになっていたのだろうとか思うんだけれども、その時のキャパシティはそれだけしかなかったということで…)
初めは、中学生くらいの頃。折り合いの悪い母との関係や、学校でのことで、よく風呂に入りながら泣いていた。誰にも気づかれないためには、そこしかなかったから。
当時私は感動や悲しい、ではなく、悔しさでしか泣かなかった。泣けなかった。
その後も、誰かに心の内を言い当てられたり、優しくされると泣きそうになって困った。これは、今でも変わらない。
そして、私は私の先生に出会って、自分のうちに貯まっている混沌や澱みについて、少しずつ言語化するようになった。
話しているうちに段々感情が高ぶってきて、決壊するように涙が溢れて、泣き止んでしまえばなんだかすっきりしている、という状態で。
それは一種のデトックスだったのだと思う。
彼の庇護のもとにあった間、ストレスがかかったり、一人で抱えきれないことが起こったりしたときには、先生のところに逃げて行って、話を聞いてもらっていた。そして大体毎回、泣いていた。
泣くことが許されなかった子ども時代の抑圧のせいで、私の「泣く」という機能はなんだかおかしい。
何に価値を置くか
長く地方国立大にいたので、なんとも腹が立つニュースである。文科が直接どうにかできる範囲でどうにかしようと?
そんなことより定員が割れている、偏差値も低い私立大学から整理してくれ、と言うと波風が立つ案なのだが(笑)
それでも、地味な地方国立大は、学問の基礎をそれなりに支えていると思うのだ。
教育機関としては地味かもしれない。
しかし、学問の場、研究機関として、縮小は愚策ではないだろうか。
学問が地方から死んでいく。
教育は、「売り上げ」を出さない。
経済を中心に据えれば、そりゃ役に立たなく見えるだろう。
国立大だけでなく、教育全体が軽んじられているような雰囲気を感じる。
けれど、それで本当にいいのだろうか?
ぬるい停滞
あいかわらず、うちに子どもがくる気配はなく、
そう簡単にはいかないものなのだなぁと認識を改める今日この頃。
それでも、主人とふたりの生活は楽だし、不満があるわけでもない。
このままでもいいっちゃいいんだけど、子どもがいたらそれも楽しそうだよねと。
友だちの子どもを見るとかわいいし、赤ちゃんいいなぁとは思うんだけど、
自分の子がほしいなぁとはいまだに思わない。
主人の子どもなら、まぁ頑張れるかなと思うけど。
それを見透かされているのかもしれないね。
タイトルなし
なんだかすごく寂しい、夜中。
誰かに会いたい。
誰に会いたい?
それも分からずに、ぽっかりとした孤独が胸にある。
まるで、旅の最中に意気投合した子と別れた直後のように。
…いや、現実にはそんな経験ないんだけどね。
夜中の寂しさは、なんだかいつもより孤独。
『ほんとうは』
ときおり、「自分」という入れ物に、ぎこちなさを感じる。
『こんなことがしたいわけじゃないのに』
『なんでこんなことしてるんだろう』
『なぜ、やりたいことができないのだろう』と。
それは、能力の問題でもあるし、タイミングの問題でもあるし、環境でもあるし生活のため仕方なくもあるし、つまるところ運かもしれないし。
色々理由らしきものは思い付くけれど、なんでだか『ほんとうは』を諦めきれないのだ。
そんなもの幻想にすぎないと分かっているのに。
家族の思い出
持ち帰ってきた仕事に手をつけないままゴールデンウィークが終わりそうで、仕方なく眠い目をこすりながら作業しております…
結婚して以降、連休となるとなんでこんなに毎年毎年遊びに出かけているのだろうか…
風呂に入りながら、ふと、子どもの頃家族で遊びに出かけた覚えなんてほぼないことに気付く。
とにかく私の母という人は出不精で、疲れるからと言って人ごみには近づきもしなかった。
父はというと、仕事をしていないと落ち着かないのかと思うくらい、朝から晩まで働いていたので、休みの日は休日出勤しているか家で寝ているかのどちらかであった。
そのため、行楽シーズンに行楽地に行くなんてことは、我が家では皆無だった。
あって、母の実家に泊まりに行くくらい(父方の実家は遠方だった)で、母方の祖父が介護が必要になって以降は一緒に暮らし始めたためそれすらなくなって。
家族全員で出かけるなんて、外に食事をしに行く…いや、祖父の介護が始まってからは母は外食にすら同行しなくなった。
そんな調子なので、連休で学校が休みになると、私は暇を持て余していた。
友だちと遊びに行くこともあったけれど、誰かの家に泊まりに行くなんて母が許してはくれなかったし、そもそも連休にはみんな家族で旅行に行ってしまったりするので、とにかく私は暇を持て余していた。
だから私は絵や文章を書くようになったのだと思う。
紙の上に、自分の居場所を創造すること。
当時の私にとっては、それが一番楽しかった。
家族のことを思い出そうとすると、ろくなものがない。
幼少のころに見ていた、毎日言い争いをする両親の姿。
世の中の両親というのは、みんなこうなのだと思って疑っていなかった。
…本当に変な家庭で育ったなぁと、今は他人事のように思い出す。
抑圧と搾取
最近ぼんやり考える事。
Metooとか山口某とかの、女性が性的に搾取されたり、抑圧を強いられることについて。
正直な話、自分の中でそんなに違和感がなかったのだ。
自慢じゃないが、子ども時代から抑圧のオンパレードだったので、感覚がマヒしているのかもしれない。
母から全否定と抑圧を受けてきたことに加えて、地元は田舎で、今時男尊女卑が生き残っている土地柄だったりする。
「女の子が大学なんかに行く必要はない、家のことをさせろ」と、マジで言われたことがある。
(もちろん大学院に進学することなんか言えるはずもない)
そこから生き残ってきたから、私はマヒしてしまったのだろうか。
色んな記事や意見を読めば、『確かにそうだよなぁ』とは思うのだ。
どんな理由があっても、性別が何であっても性的な暴力は許されることではないし、被害者が叩かれるのはおかしいし、被害者が口をつぐまなければもっとひどい目に合うなんて社会としておかしい。
けれど、自分はそんな社会に適応してきちゃったのだ。
むしろ、その仕組みを有利に利用してくるぐらいの勢いで生きてきちゃったのだ。
だから、私はこの件について何をどう語ったらよいのか分からずにいる。
きっと、この風潮が今まで変わってこれなかったのは、私みたいな感覚の人の消極的な肯定のせいもあるんじゃないかと思う。
自分の経験則ではなく、理性的に考え、自分の感覚を疑わなければならないのだと思う。