過去の下書きから
下書きのまま放ってあった記事を、供養。
~~~ここから~~~
やっぱり何かがおかしい。
最近(といってもここ1年くらい)、彼が私とのコンタクトを避けているような気がしていたが、
今日は夕方の電話に出ず、6限の終わった時間?にコールバックしてきたと思ったら雰囲気がおかしい。
以前の、メンタルが悪かった頃の彼の雰囲気を感じた。
時間も遅かったからかもしれないが、私のカンが鈍って気づかないことはあるとしても、感じたこの違和感が、気のせいだとは思えない。
体か心か、どちらかに不調がある気がする。
…自分だってそうなのに偉そうなこと言っていますが(笑)
でもやっぱり。
私は私より彼のことが大切なので、心配だ。
今さら私に本音を言わないかもしれないが、近々サシで会わねばならない気がしてきた。
自分が苦しいのはもちろんツラいが、
大切な人が苦しいのは、もっと悲しい。
滑稽な片思いだとしても、
返ってくることなど望んでいないのだから、それくらいの勝手は許してほしい。
回復かはたまた
仕事が少しだけ余裕ある時期。
今度は躁に振れているのか、怒濤のように予定を詰め込んでは消化していて…いや…とても充実はしているんだが、これで大丈夫か自分…
この降り戻しが来るんじゃないかと思うと、わりと怖い。
楽しいことにエネルギーを使うと、その分沈むことがよくあって、私にとっては楽しいことも辛いことも等しくストレスになってしまうので、なにごともほどほどにしておく方がよいのだけど。
分かってはいるんだけどね…
少しだけ、抜けた。
昭和元禄落語心中という漫画の、好きなセリフ。
オイラは師匠の背中を見てんのが一番好きだ
師匠てぇのは超えるもんじゃねぇ
別々の道を 同じ方を見て少し後ろを歩いてく
仲間ってエたら変だけど…そうだなあ
同士みてえなもんだ
いつの間にか、ついつい師に追い付いたようなつもりでいたけれど、
やっぱり私の先生はサイコーだ。
敵わない。
ああなりたいとは思わないが(笑)、でも、私は彼に救ってもらった。
その恩を、私は私の人生を大切にすることで返さなきゃならないのだ。
別に、そんなことすら彼は望んでなどいないのもわかっているけれど。
でも、別々の道でも同じ方を見て歩くなら、
胸を張って歩いている方がいいに決まっている。
獰猛に
さて、世の中には予期せぬ妊娠なんて数えきれないほどあるわけで、子どもなんてその気になればひょいとできるだろうと思っていたのも事実で、
反面、自分が、恐れていた「母親」にならねばならないということへの恐怖もあり。
私はどちらにも、踏ん切りがつかないでいる。
こうして毎月毎月、結果を待つまでのモヤモヤした気持ちに、早くも疲れ始めている。
母は、彼女なりに私のことを考えてくれていたのだ(少なくとも本人はそのつもりなのだろう)。
それでも私はこんなに生きにくい人間に育ってしまったのだ。
さらにそんな私が子育てしたら、なんかとんでもないことになりそうじゃん?
でも、毒を以て毒を制するというか、私の人生に何か乗り越えなければ乗らない課題があるのだとしたら、
それは子どもを持つことでしか果たされない気もしている。
これは使命というか命題というか、私の人生のテーマなのかもしれないと感じる。
どちらとも結果が出ないからモヤモヤするんだな。
腹をくくるにくくれねぇ。
2010年の文章
様々なことを堪え忍んで生きてきた人間は、どこか殉教者や奴隷に似る。
私は、よくも悪くも自分の道を外れない。
外れられない。
絶望的な自立と、絶対的な孤独。
「さくらちゃんは、見た目もしっかりしてるし、実際中身もしっかりしてる」
そうでもないんだけどな。
自己肯定感の低さを自己愛で補うナルシスト。
多分、私はそれだけの人間だ。
~ ~ ~
うん。変わらないね(笑)
後ろ向きなのも。
詭弁も。
それでも、この頃は自分への自信があるよね。
何を心の支えにすればいいのかも分からず、
救いを待っている。