午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

自縄自縛とはまさにこのことで

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地元を離れて生活し初めて、最初こそ楽だったが、なんだか、そんなにたいした人間関係も築いている訳じゃないのだが、どうしてか疲れてしまう。

ただ単に、体力や気力の低下かと思っていたのだが、もしかしたら、「演じている自分をデフォルトに設定使用としている無理」があるのかもしれないと、はたと思い至った。

 

自慢じゃないが、人間関係が苦手だ。

そのことに自覚的でなかった時分は、「怖い人」「取っつきにくい」と思われていたらしい。

そしてその頃は、今まで以上に自己中心的で、周りを気にすることはあれ、自分を曲げる気は微塵もなく、それはそれで楽しい日々だった。

段々と大人になっていく中で、人との関係をうまく作れず距離を置いてしまったり逃げ出したりしたことも何度かある。

それでも、私と繋がり続けてくれる人がいたし、昔から知っている友だちには、なんの気兼ねもなく、いつも通りに自由に振る舞えた。

大人になってから生活の場所を移したことで、「誰もそれまでの私を知らない」という状況になり、「今度は失敗しないように」、私は自分ができる最大限のコミュ力を駆使して、「ちゃんとしてる人」でいようとしている。

「嫌われないように」、「見捨てられないように」。

 

…それやってるから、キツくなるんじゃないの?

ということに。気づいてしまったわけですよ。

 

地元なら、多少失敗したって、職場で立場が悪くなったって、それを愚痴ったり、忘れて過ごせる相手やコミュニティがあるけれど、どうにもこちらでの人間関係は、とても狭く、なおかつ大人としての社会的な繋がりであるから、余計に失敗したら終わりだ、みたいな気持ちになってしまう。

 

最初でガチガチに作り込んでしまったから、

「まあ、桜さんだからしょうがないよね」

みたいな余地を自ら残さなかったのだ。

あーそりゃ自分で自分の首を絞めているわー。

そして、自分でがんじがらめになる、と。

詰んでる。明らかに初動を間違った。

ここからどうすれば楽になるのか分からない。

詰んでる。

会いたいと、願うけれど

もう遠く離れてしまったから、今さら思い出も増えないし、

彼がいない日々が普通になってしまうことはツラい。

会いたいなぁと、思う。

声が聞きたいなぁと、思う。

 

気候の変動は、メンタルに悪い。

ただただ振り回されることに、疲れる。

 

彼に会いたいと、願うことすらどうせ叶わないのだと諦めてしまう。

それだけが私の希望であるはずなのに。

 

私の神様のようであったほどの彼の存在が、どうでも良くなるはずはない。

唯、もう叶わない願いを強く持ち続けることに疲れてしまったのかもしれない。

 

面と向かって言われたことは(記憶にある限り)ない。

それでも、彼が私の幸せを願ってくれていたことを。

思い出したくてもすっかり遠くなってしまって、私は悲しい。

会いたいとどれだけ願っても、この距離は遠い。

量子測定理論的妊活

不安も葛藤もあれど、夫とも話し合い、いま、子どもを待っている。 
次の月経までの間、答え合わせのできないなかで、 
いつも私は「シュレディンガーの猫」という単語を思い出す。 
その中に、いるかもしれないし。いないのかもしれないし。 
どちらもが重なり合って存在している間、 
私のお腹の中にはシュレディンガーの猫がいるのだ。 
  
制約も、打算もある。私の職場では、制度はあっても替えの利かない仕事も多いため、 
1年未満で復職せざるを得なくなる。 
どうにか最大限休もうとすると、かなりタイミングには気を使わなければならない。 
年度初めとか年度末とか絶対ダメ。絶対無理。おちおち産休になど入れない。 
けれど、すぐに戻りたいわけではない。どんな理由であれ、 
(育児の方が結果的に大変であれ)仕事は最大限休みたい。合法的に休みたい。 
  
「愛し合ったふたりの子どもが欲しい」だなんてポエムではなく、 
私には利己的な打算しかない。 
そんな不純な動機で子どもなどできるのだろうか。 
できなきゃ、それはそれで因果応報なのかもしれない。 

不完全なひとりの人間として。

https://anond.hatelabo.jp/20140402111648

 

そう。

私は、物理的に実家と離れたことでかなり精神的に安定しました。

そうすることで、母の方も私のことを「自分の管理下にいる者」という認識を外したのか、表面的には優しく振る舞ってくれるようになり、

かなり関係は改善し普通の母娘のようになっています。

うっかりすると、実家を美化しまって懐かしくなってしまいそうになるのだけど、

いやいや、もうあんな家には戻りたくなんかないと、初心に戻る(笑)のです。

 

今になれば、母について、理解はできます。

きっとあのとき母も辛かったのだろうとか、我慢してきたのだろうとか。

けれど、私は彼女を許さないと決めたのです。

そうでないと、あの頃あんなに傷ついた、あの頃の私がかわいそうだ。

母に、反抗して反抗して、私はやっとサバイブしてきたのだ。

理解はしても許しはしない。

そうでなければ、私はアイデンティティが揺らいでしまう。

 

結局これが正しいのか分かるのは、母が死んだ後なのだろうと思います。

母がいなくなった私の世界が、自由であることを心から願います。

好きなことを

ネットの海で、時々この言葉に再会する。

いつも、勇気をもらうようで、でもそうできない自分が悲しく感じます。

 

~~~~~

 

これはあなたの人生です。

自分が好きなことをやりなさい。

 

そして、たくさんやりなさい。

 

何か気に入らないことがあれば、それを変えなさい。

 

今の仕事が気に入らなければ、やめなさい。

 

時間が足りないのなら、テレビを見るのをやめなさい。

 

人生をかけて愛する人を探しているのなら、それもやめなさい。

 

その人は、あなたが自分の好きなことを始めたときにあらわれます。

 

考えすぎるのをやめなさい。人生はシンプルです。

 

すべての感情は美しい。食事を、ひと口ひと口を味わいなさい。

 

新しい事や人々との出会いに、心を、腕を、そしてハートを開きなさい。

 

私たちは、それぞれの違いで結びついているのです。

 

自分のまわりの人々に、何に情熱を傾けているかを聞きなさい。

 

そして、その人たちにあなた自身の夢も語りなさい。

 

たくさん旅をしなさい。

 

道に迷うことで、新しい自分を発見するでしょう。

 

ときにチャンスは一度だけしか訪れません。しっかりつかみなさい。

 

人生とは、あなたが出会う人々であり、その人たちとあなたが作り出すもの。

 

だから、待っていないで何か作ることをはじめなさい。

 

人生は短い。

 

情熱を身にまとい、自分の夢を生きよう。