午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

憂鬱が致死量

ひどく感情的に落ち込んだ状態で、論理的に物事が整理できない。

生理前なのが悪いのか、夏休みの連休が終わった降り戻しなのか、気候の変化が悪いのか、

とにかく死にたさがざっぱんざっぱんと波のように打ち付けてくるので、頭から被ったタイミングは息ができなくなる。

大きな波を被るのは一瞬だけど、タイミングを間違えば足元を掬われそうだ。

右から左から打ち寄せる波に、どこに逃げることもできない、致死量の憂鬱をやり過ごす術は。

恋をしないと生きられない

ずっと私は自分のことを、恋愛体質だと思っていた。

物心ついた頃からずっと、常に好きな子がいたし、好きだとか憧れだとか、その対象がいることが日々のモチベーションになっているほどで、両思いになることよりも、ただ片思いをしている方がよっぽど楽しかった。

あまつさえ、彼氏がいようと、バイト先や学校で気になる男の子がいるのも良くあることで、もはやここまでくると病気だなぁと、自分でも思っていた。

そんなわけで、結婚すること自体が、自分に向いていないのではないかと思ってかなり躊躇したのも事実である。

ただ予想に反して、結婚して以降、私の“恋をしないと生きられない病”はすっかりなりを潜めてしまったのである。

色々考えてはみたが、恐らく、安定した所属先ができたことにより、安心したのではないかと自己分析している。

私はずっと、絶えず誰かからの承認を求めていて、私がふわふわと恋心を持ち続けていたのも、それは翻っては「自分が愛されたい」という気持ちに他ならなかったのかもしれない。

ということは、私は今、愛されているということなのかしら。

いや、正しくは。愛されているということを認められるようになった、のでしょう。

健康的に自己犠牲!

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写真が添付できるのか実験。

 

ここに文章を書くようになってから、おかげさまでずいぶん症状が落ち着いています。

ということは特に書くことがないということでもあるのですが(笑)

 

それでも抜けきれない、なにか居心地の悪さは、とにかく生きることに対しての居心地の悪さのような気がします。

どこに向かえば、この罪悪感はなくなるのでしょうか。

それともどこまでいっても、私は何かに対しての罪悪感を感じながら生きていくのでしょうか。

だから私は、人に奉仕して生きていくことを選び、そのことを以て自分の存在を許そうとしています。

なおかつ、自分を大事にすることを忘れないようにしないと、ただの自傷行為になるので、注意が必要ですね(笑)

儀式

儀式があると、自分でも面倒くさい。

何かするときにはこうしなければならない、というパターンが、なんの合理性もないのに強迫観念的に私に行動を強いてくる。

例えば、階段は左足から下りなければいけないとか、飛行機に乗るときには離陸直前に、墜落しないように祈らなければならないとか、そういった意味のないパターン行動だ。

(いや、祈るのは意味があるかもしれないけど(笑))

 

馬鹿馬鹿しいと思いながら、止めるのは不安だからやり続けてしまう…

なぜなのかしら。

タイトルなし

さて、いつも鬱々とした内容を上げ続けている四篠ですが、楽しいことももちろんありますし、テンション上がるときもちゃんとありますよ?

今日は友人の結婚披露宴なので、久しぶりに旧友たちにも会えます。

小学校の頃は、勉強のできる不思議ちゃん。

中学校時代は、目立ちたがりの自由人。

高校時代は、我が道を行く器用貧乏。

ちなみに現在は、頑張って普通にしようとしている変人。です。

 変わらないのは、いつも、悩み、考え、辛くなりながらも最後は現状を笑い飛ばし、たくましく生きてきたことです。