午前3時の雑記帳

病気でもない、普通でもない息苦しさをまとめるブログ

普通になりたい、と私は泣いた

子どもの頃は、二十歳になれば大人なのだと思っていた。

大学生の頃は、卒業すれば大人だと思っていた。

大学院生時代は、就職すれば大人だと思っていた。

…さて、三十路にさしかかってなお、私はちっとも大人になった気はしないので、もうきっとこのまま40にも50にもなるのだろう。

 

子どもの頃からすれば、ずいぶん思慮深くなった。

大学の頃からすれば、状況に合わせて動けるようになった。

大学院生時代からすれば、自立した。

大人になった気はさらさらしないが、今の自分の方がまぁマシだと思えるだけでも十分だと思う。

病んだまま世間に対して斜めに構えていた頃に比べれば、丸くなった。

 

私はずっと、普通になりたいという欲と、普通でありたくないという願望の間でバランスを取れずにもがいていた。

唯一無二の自分でありたいという願いと、他の子と違うことの不安は、どうにも両方解決する案件ではなかったからだ。

心配しなくていいと、お前はそのままでいいよと、全然納得しない私に対して言い続けてくれた先生のおかげで、私はやっと私であることに怖さを感じなくなった。

いまだって自分を持て余している。

けれど、先生がそのままでいいと言ってくれるなら、まぁいいかと思えるのだ。

あと、主人も私のことをそのまま受け入れて、ちょっと変わっていることはあまり気にしていないし。

年齢的にはいい大人になっているはずだけれど、私は私を大事に思ってくれる人のおかげで、なんとか生きています。

社会生活リハビリ中

仕事のペースがつかめない…

長期休み明けて、仕事再開して、また週末が来る…

どちらかというと、明日も間違って仕事行っちゃいそうだぞ。

女子と占い

独身の頃、親友と占いに凝っていたことがある。

カフェのマスターが占ってくれる店から、道端の占い師まで、ノリで色々行っていた。

どこに行っても毎回二人とも「苦労人」と言われ、苦笑したものだ。

親友は「苦労して経済的自立を果たしてきた」、「人生を通じて人に奉仕する」と言われ、

私は「精神的な守備範囲が広く」、「男は掌で転がさないと気がすまない」と言われた。

分かる…恋愛の主導権は自分が握らないと気がすまなかったんですよ…当時…

 

親友である彼女と、人生に迷うと占いに行き、悪いことを言われれば「分かる分かるー!」と盛り上がり、言われたいいことを信じてまた日常生活に戻っていった。

別にそこでハマったり宗教に流れたりはしなかったのだが、

人生に迷走する20代女子としては、割とあるあるなパターンなのかもしれません。

 

おかげさまで二人とも結婚し、当時のワーキングプアぎりぎりの生活からは抜け出し、また別の人生のステージをやっている今日この頃です。

休日

貴重な貴重な3連休以上の休み。

特にやりたいこともなく、いつもやらない掃除とかをやって昼寝して一日が終わる…

もったいないと思うのだが、特にやりたいこともないのだ…

 

その中でも時々、連絡を返さず放置したままの友だちのメールとかを思い出して死にたくなったりするものだから、仕事がなければそれで全部よいというわけでもないのがもうどうしようもないところである。

もうなんというか、生きていくのに向いていないのかな?

 

とりあえず、ブログもお盆進行に入ります。

書いたり書かなかったり家族サービスしたりしてきます…

愛着と信頼(2)

私が今まで生き残ってこられた最大の要因は、要所要所で必ず誰かが見ていてくれたことだ。

そしてそれは、ほとんどの場合学校の先生だった。

幼稚園、小学校、中学校と、必ず一人は私を特に評価して目をかけてくれた先生がいたから、

私は家庭では母に全否定されながらも、それ以外の評価があると知っていた。

私は、中学まではそこそこ勉強もできたし、何よりも可愛いげがないくらいに頭の回転が早かった。

そう言うと偉そうに聞こえるが、しかし、常に誰かが私を引き上げようとしてくれたということは、

自惚れでなく、そう思わせるなにかがあったということだと思う。

 

学校の先生たちのおかげで、私は機能不全家庭にいるわりにはのびのびとマイペースに育ち、それでもなお何か満たされない気持ちを抱えていた。

「お前はいつもどこか寂しそうだ」

と、彼に言われたことがある。

何をしても埋められない欠乏感。

不遜に振る舞おうと、自己中心的に空気を読まずに生きていようと、それが私の虚勢であることを彼は知っていた。

私は当時、恋愛をすることでその欠乏感は埋まると思っていた。

自分が好きになった相手が自分を好きになってくれれば、それが世界のすべてだと思っていた。

でも、自分の欠乏感を埋めるのは他の誰の仕事でもなく、私自身が変わらない限りは埋まらないのだった。

その時は、分からなかったけれど。

その勘違いのせいでずいぶん長く勘違いした恋が続いてしまったが、まぁ今思えば、それらも無駄ではなかったと思う。

 

いまだに、やっぱり自分には不幸の方が似合う気がしてしまう。

幸せになることには、縁がないような気がしてしまう。

それでも、今この手の中にある幸せを大切に思うことだけは、できるようになってきたのだ。

私を大切に思ってくれる人がいることを、もう私は知っているから。

や!す!み!

ついにお盆休みに入った!

休める!何も心配せずに休める!

と、思っていたら家から全然出ずに一日が終わった…

よくあるよね。